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Channel: 九州戦国ブログ~室町末期から江戸初期まで~
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【肥前後藤氏・六~貴明・1】西肥前強化期間リサーチ8武家目

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日本初のキリシタン大名・大村純忠の人生に大きく影を落としたのが、後藤氏19代目貴明の存在だった。
個人的には、大村純忠がキリシタンに傾倒した大きな要因になったのではないか?とさえ感じてます。

18代目後藤純明は子宝に恵まれず、有馬氏縁戚の大村氏から養子を迎えたのが貴明でした。
後藤家に問題はない。揉めたのは貴明の実家・大村家の方です。

後藤貴明の実父・大村純前のウィキペディアだと、

純前は男子がなかったために有馬氏より純忠(有馬晴純・次男)を養子に迎えたが

その後側室との間に実子の又八郎(=貴明)が誕生した( )内はシオ補足


・・・・あれ?ヽ(。_゜)ノ ??
大村純忠、生年月日:1533年
後藤貴明、生年月日:1534年3月
一歳しか違わないじゃん。昭和の早生まれ区分けだと、学校は同学年だぞ。
ちなみに大村純忠が跡継ぎ候補として有馬から大村へと養子に入ったのが、1538年(天文7)。

つまり大村家では、庶子とはいえ又八郎(=貴明)という実子がありながら、有馬から跡継ぎを迎えたんです


これは・・・何処から見たって「有馬による大村の家督乗っ取り」( ̄ω ̄A;アセアセ
ちなみに養子に入った純忠ですが、さすがに赤の他人じゃありません。
有馬晴純の妻・・・純忠の生母は大村純伊(貴明・祖父)なので、貴明から見て大村純忠は従兄にあたります。

イメージ 1
(企み中?有馬晴純イメージ画像)

有馬晴純の斡旋で、大村純前の実子・又八郎(貴明)がo( ̄Д ̄θ★ケリッ!と後藤家に養子に出されたのが1545年。
ということは7年間、大村家において純忠と貴明は同じ館で起居してたかもです。

同居と言っても現代と違い、さすがに廓は違うはずで日常は別々でしょう。
でも重陽とか新年とか武家における諸行事では顔を合わせてるはずで、
となると又八郎の席順は実子でありながら、養子で従兄・純忠の下座。

又八郎、数え12歳。戦国の12歳は現代の12歳より遥かにシッカリしてます。
貴明の行動原理を見るに、実子でありながら家督を継げない事への屈辱に日々歯噛みしてたと思われます。
禍根になるのは明らかで、有馬晴純が又八郎の養子先を斡旋したのは当然の事でしょう。

大村家は江戸期に文書類を相当改竄してるんじゃないか・・・って疑惑があります( ̄ω ̄A;アセアセ
佐賀側ともデータに整合性がとれず矛盾があって、それで自分もお手上げで大村単独でのリサーチを諦めました。
で大村側の記録だと、大村純伊が渋江氏の助勢で有馬から旧領を奪回したことになってます。

これが既に真偽を疑われてます,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
だって~伊勢詣でバッタリ出あい渋江公勢が大村純伊に同情して助勢を約束って、話が出来過ぎてる。
ただ丸っきり出鱈目じゃなく、華々しく勝利し旧領復活したって形ではない・・・というだけ。

実子がいながら、有馬氏からの養子と受け入れた事といい、大村氏は有馬と対等の同盟関係ではなく服属に近い状況だったんじゃないでしょうか。
数え12歳なら実家の苦しい状況は、100%じゃないにしても空気は理解出来ます。
大村家存続のために有馬の力は必要だったとなると、有馬を敵視することは我慢しなければならない。

養子に出された又八郎(=貴明)の、やり場のない恨みと怒りは、大村へ養子に入った従兄・大村純忠へと集中した


実父・大村純前が純忠へ家督を譲ったのは1550年で、翌年1551年に亡くなった。
又八郎は後藤家へ行く前に、一度でも父に尋ねたのだろうか?
「本心では、我が子である自分に家督を継がせたかったんですよね?」
「勝童丸(純忠)より、自分の方が当主の器ですよね?」
聞いても後悔、聞かなくても後悔するだろう、永遠の問い。
貴明の純忠に対する憎しみは、現実に純忠が大村の家督を継いだ事で、いっそう増したに違いない。

純忠が存在するのが許せない。
純忠への憎しみで、息するのも苦しい。
髪の毛の一筋全て、大村から純忠の痕跡を消し去りたい。

後藤貴明の純忠に対する憎悪の激しさは、後藤家の外交方針にも影を落とす。
純忠にとって不幸だったのは、後藤貴明が器量優れた人物だったことだ。
その為、大村家臣の中でも貴明当主を諦めきれない「貴明派」がいて、純忠の一挙手一投足を批判的な目で見てた事です。

「大村家の家督」は純忠にとって地獄の業火だった。
文字通り、針のムシロ。
この広い世界で、臓腑を引き裂きたいと思うほど自分を憎む者がいる・・・
純忠の精神は「実家・有馬の勢力拡大の為(`・ω・´)キリッ」と開き直れるほどタフじゃなかったらしい。

1563年、大村純忠はキリシタンの受洗を受ける

純忠の受洗が、後藤貴明と大村純忠の対立を決定づけたのだが、それは・またの話 by^-^sio

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