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Channel: 九州戦国ブログ~室町末期から江戸初期まで~
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【プロローグ・偏諱と龍造寺、中篇】龍造寺隆信「道」の巻

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中篇にしてみたけど、あと1話で終われるか?(-ω-;)ウーン
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龍造寺隆信は、大内義隆から偏諱を受けて被官となった(はず)にも関わらず、被官らしいことはしてません。
偏諱の御礼言上に大内義隆に拝謁なし(たぶん使者のみ派遣)
山口には龍造寺の屋敷がない・・・つまり龍造寺隆信は一度も山口に出仕してないと言う事です。

大内義隆が「大寧寺の変」で陶晴賢に討たれたので、龍造寺が大内の命令で兵を出す事もありませんでした。
もしかしたらVS少弐の為なら、大内の要請に応じて出兵したかもです。

どうも龍造寺隆信には「誰かの被官(室町風の家臣)or配下になる」
・・・って、チョイスが初手からないように感じます。
これは隆信が僧侶出身だった事と関係してるかもです。
一寺の住持(つまりTOP)で誰かの家臣になるという武将としての経験がない。
さらに隆信自身が誰かに頭を下げる事をしたくない・・つまりプライドが高かったのでは・・・と感じます。

http://blog-imgs-50.fc2.com/s/i/o/siori20120901/img_360567_4549205_1.jpg 隆信イメージ画像

前回、偏諱はマーキングと同じだ(`・ω・´)キリッと書きました。
偏諱を受けたら「お前は俺の子分」ブシューーッと強烈な匂い付けをされるわけです。

龍造寺隆信は大内義隆から偏諱を受けた以降、誰の偏諱も受けませんでした。
誰かのマーキングを嫌ったんじゃないでしょうか。
誰の偏諱も受けないために、隆信の名乗りを変えずにいたかもです。
その代わり、嫡男の政家には大友義鎮から偏諱を受けさせてます。

龍造寺隆信にとって偏諱は「誰かの家臣になる為」ではなく、「外交手段のカード」なんです

まさしく典型的な戦国武将で、外交手段だから本気で配下になるつもりなど毛頭ない。

大友と和睦して嫡男に偏諱を受けさせ、大友を喜ばせるのは一時の事。
子弟を府内へは出仕(人質)させないし、八朔の日恒例の儀式「豊後参り」は当然の如く不参加。
(大友から見て)勝手に兵を出し領地を広げ「既得権益」として有耶無耶にして認めさせる。
大友にとって、これほど腹の立つ、傲岸な男はいないでしょう。

http://blog-imgs-49.fc2.com/s/i/o/siori20120901/blog_import_5042c7a4b747b.jpeg 家紋ロゴ・龍造寺

偏諱を受けない・・・誰の配下にもならないと心中決めていた・・と、思われる隆信。
だから瀬戸際のピンチになっても、隆信本人は大物を頼る事はしてません。

亡き村中龍造寺当主は、少弐の陰謀でピンチになった時に大内義隆を頼り、大内から肥前守護代の地位を得てます。
これが普通の国人領主の反応なんです。

隆信は「自立した勢力である立場は譲れない(`・ω・´)キリッ」とばかりに、どんなにキツクても踏ん張り続け家臣らと力を合わせてピンチを切り抜けます。
この矜持があるからこそ「戦国大名」として、「頼れる御大将」になりえたのでしょう。

実は先日、( ̄ko ̄)<監修さまから興味深いHPの紹介を受けたんでつ。。。。

僧侶の美醜についてでして「僧侶になるのは醜男」という、現代ではビックリの話でした。
昔は美醜について明確な差別があり「美しい者は前世において善根を積んだ者」「醜い者は前世の悪徳の因果の報い」という偏見があったそうなんです。
醜男は今世で善根を積むために僧侶になる(-人-)☆彡オネガイ って話。

て事はですよ。
龍造寺隆信は7歳にして僧侶にならなければならないほど残念な顔だったて事?ヽ(。_゜)ノ へっ?
確かに残ってる肖像画を見ると、お世辞にも美男とは言い難い御姿( ̄ω ̄A;アセアセ

隆信の出家を決めた剛忠(家兼)は、室町末期の人物なので上記の美醜感覚の持ち主だったと思われます。
村中未亡人が隆信に中々靡かなった事。隆信自身の恋バナ無し。側室がいたかすら不明。
というのも加味すると、「出家させるしかない残念な・・」は真実味がありそう^^;
まぁ水ケ江龍造寺は長男⇒次男⇒長男家の変則相続を繰り返してたので、それもあって隆信を相続から外したのもあるかもです。

修羅の戦国時代に入ると武将にとって美醜は二の次三の次。武勇・実力が全て(`・ω・´)キリッ
同時代人である権現様も「美醜関係ない~戦キズが元なら寧ろ名誉」的な発言されてます。

もともと古代日本では「醜しこ⇒四股」となったように、醜さは強さ異能の証でした。
醜女であるイワナガヒメは、健康と神レベル長寿の象徴。
「人と違う=神秘性」であり、龍造寺隆信の神童・英雄伝説にカリスマ性をもたらしたのかもしれません。

話戻って、面白いのは分家出身である龍造寺隆信の、一見無謀に見える踏ん張りに龍造寺一門が付き従った事です。

龍造寺は誰の配下にもならない

龍造寺よ、誇り高く自立した勢力たれ!


いかに龍造寺隆信が英雄的資質&(残念な顔前提の)カリスマ性を持っていたにせよ、分家出身の当主が一門の意思統一を完璧に出来るものでしょうか。
自分は龍造寺隆信の才覚だけでなく、剛忠(家兼)の代からの布石が生きたのだと感じます。

なぜなら「龍造寺剛忠(家兼)も、誰からも偏諱を受けなかった人物だから」です

「自立した勢力になる」これは亡き剛忠(家兼)の密かな悲願で遺志だったと思うのだが、それは・またの話 by^-^sio

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