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永正4(1507)年3月、筑後国人・星野重泰が大友に反旗を翻す。
大友は総勢一万余騎で鎮圧に乗り出すのだが、地の利を生かした星野に翻弄されて中々倒せない。
そこで大友は星野征伐に謀略を用いることにした。
大友家臣に竹尾という者がいたのだが、彼が筑後に入り星野家臣となって妙見城に潜入する。
竹尾が自分の身元を何と偽ったかは不明だが、とにかく上手く星野重泰に近づく事に成功。
リラクゼーションなぅ(入浴中)の星野重泰を殺した。
突然だが入浴中に殺された武将といえば、源義朝かなぁ。
大河「平清盛」に登場した帝・高倉帝だが、謀殺された星野重泰の先祖は高倉帝に仕える調 助能という人物だった。
笛の名手だったので「調」という姓を帝から与えられたの^^b(星野先祖は助能の次男)
大友は「調一族である星野家名跡を絶やすのは忍びない(自分が謀殺したくせに)。」
てことで、星野一族から親実を引っ張り出して星野当主にした。
こんな事されて「はい、そうですか」と星野家中が納得できるはずがない。
実は星野氏の系譜は、じゃっかんカオスでして^^;
この謀反前後あたりは、とくに解りづらく、大友が引っ張り出した星野当主や、大内のバックアップ受けた糸の星野氏とかとか ( ̄ω ̄A;アセアセ
つまり大友は、それだけ星野の反抗的態度&謀反に(数年単位で)手こずってたらしい。
大友義長が自ら筑後入りしたのも、かなり星野に頭に来てたからなのよネー(*´・д・)(・д・`*)ネー
義長は死ぬ間際ですら「ゴルァ!!!(# ゚Д゚)・;'.星野はゼッテー許さねぇ」と遺言したそうな^^;
なんだかんだと星野謀反を完全に鎮圧するのに、大友は1513年までかかってます。
星野カッコ(・∀・)イイ!
(シオが筑後で一番好きな国人は星野なのだ~(人´∀`).☆.。.:*・)
落ち着かない九州の情勢に足利将軍家が乗り出すのだが、それは・またの話 by^-^sio
ここまでを三行まとめ(`・ω・´)キリッ
・謀反を起こした筑後国人・星野を鎮圧するために大友は謀略を用いた。
・潜入させた大友家臣に、入浴中の星野重泰は殺される。
・大友は星野家の家督を星野一族から当主をたて、大内も「糸の星野氏」をたてる。