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つまり時代小説とか戦国ものにチョコチョコ登場する「朱印状」「黒印状」の事です^-^
簡単に言うと「花押の変わりに印章を捺した文書」です。
これは鎌倉じゃなく室町時代に始まって、戦国期に急速に広まり江戸時代に及ぶ。
花押の変わり・・・つまり対等の礼をとる必要のある文書では通常用いません。
当主が幼少で「ソレガち未だ花押が描けまちぇん・゜・(つД`q。)クスンクスン」という時や、
手が負傷したとか病気などで花押を書くのが困難な場合に印章(印判)で代用するわけです。
また厚礼を要しない同文の文書を大量発給する場合などにも使用します。
印判で最も有名なのは、織田信長の「天下布武」ですね(^ -)---☆Wink
印肉の色は朱と黒。(例外もある)
「朱」色を使うから「朱印状」
「黒」色を使うから「黒印状」
佐藤先生曰く「印章の使用は東国に圧倒的に多く、西国に少ない」
てことで鈴木敦子先生の論文「肥前国における戦国期の印章使用」です。
龍造寺隆信~印章2種類~~印判状9通
龍造寺政家~印章3種類~~印判状7通
鍋島直茂~~印章3種類~~印判状21通
この少なさは「本来なら花押すべきところを、簡略な印章(印判)で済ませちゃってゴメンね(´・д・`)」
って相手に対して粗略スマソって事から来てるようです。
龍造寺隆信も印判を使用するときは、相手が実弟であっても
「ちょっとワシも年だからさ~花押書くのシンドイから印判にした~そこんとこ承知してちょ(超意訳)」
と追記してます。
で、鈴木先生のまとめ
①印判状使用そのものが一般化していない
②印章の使用は、やむを得ない場合に使用する(特に親しい間柄において)
※冒頭にあげたように、戦国大名間の外交上の文書では用いません(`・ω・´)キリッ
③公的文書でも使用は例外だが、短期間で多数の文書を必要とするときは使用した
④黒と朱の使い分け
※黒印~~家臣など目下の者に対する場合(薄礼)
※朱印~~寺社など相手に尊崇の念を表す場合(厚礼)
この使い分けは肥前のみではなく、全国的なものです。
が、織田信長は黒も朱もゴチャ混ぜにして使ってました。
相手への礼を配慮しない(=イコール)自分の権勢を示す意味もあったと思われます。
おっと、あと一つ。
⑤印判状でも賢紙に印章のみを押す形式は、目下の物への礼状に用いる(自己の権威化)
論文によると鍋島直茂の公的文書における印章使用は、自己の権力確立後からだそうで、
それまでは使っててもプライベートだけだったとか。
ですが、印判が簡略・・相手への礼を失するという認識があるにも関わらず、東北では使用例が多い理由・・・
或いは東北で多いのに西国で使用が少ない理由は、論文の典拠からは見えてきません。
鈴木先生も「印判状の点数が少なくて、ちょっと無理(´・д・`)」と言われてます。
印判状研究には、漢字に起こした出版物ではなく、古文書の原典そのものからアプローチしなければならないので、
かなりマニアック・・・ゲフゴホ・・・専門的な知識を要するので、なかなかディープな世界です^^;
実は、論文自体は一か月以上前に読んでたんです^^;
古文書学入門書を読む前だったので、ぶっちゃけ理解しきれてなかったです^^;
今回、入門書で勉強してから再読して「なるほどな~」と思った次第 ( ̄ω ̄A;アセアセ
やったーゎーィ♪ヽ(*´∀`)ノ~~武家様文書から脱出~~次からは上申文書(=^・ω・^=)v ブイ