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相良義陽_43【薩州家_島津義虎までの その11】

投稿の仕様が微妙に変化してる Σ(´Д`;)はぅっ
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あちこちのカテゴリや記事で何度か書いてますが、室町時代は緩やかな支配関係でした。
国衆であれ、分家であれ、実力さえあれば地元の守護職の被官になるだけでなく、室町将軍家の御家人になる・・・つまり両属が可能だったんです。
ですから、薩州家当主の拝謁を許した室町将軍家も、薩州家を島津宗家の分家で守護職の被官であると同時に、一つの独立した勢力とみなしていました。

永禄6(1563)年~義虎(27歳)は上洛し足利義輝公に拝謁し、諱のうち「義」の偏諱(※へんき=一文字拝領)を受ける川* ̄д ̄*川ポッ 

すいません~~便宜上(一番好きな名前)義虎で呼称を統一してましたが、実は薩州家6代目はチョコチョコ改名してるんです^^;
将軍家から偏諱前は島津の通字が入った陽久でしたが、義の字を拝領して義俊に改名し、最終的に義虎に改名します。
つまり、この時から義虎は足利義輝の被官になったわけです^-^

亡き父・実久も同じく足利義輝に拝謁しているので、6代目として踏襲したのかもだし、
(薩州家の)分家・家臣・国衆に対する総領ステータスとしての意味合いなどなど、理由は色々混ざってると思います。
義虎が上洛したのは一度だけで、その後に将軍家と交流あったかは判りませんが、記録としてはなさそうです。

宗家の座を巡っての争いや、そこまでじゃないけど政治的対立などで島津宗家と対峙してきた薩州家は、
ゴタゴタの都度に宗家と縁組を結んでるいるので凄い血族婚になり、
結果として平成現代の島津宗家にも改易されて滅んだ薩州家の血脈が流れているんです^-^

Image may be NSFW.
Clik here to view.
家系図・薩州家

それにしても、これだけ血族婚が数代続いたら、遺伝子学的にアレなはずなんですが、
どうゆう作用か島津はDNA良いとこどりに成功しまして、見事な戦闘民族シーマンズが完成しちゃいました(@@;)
実は戦国ニュータイプだったりして,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

で、前回紹介した宗家から義虎に嫁いだ御平ですが、嫁いだ時期は不明です。
ただ御平の生年月日(天文20年8月22日)とハッキリしているのと、嫡男誕生が永禄9年なので、結婚は永禄6~7年くらいじゃないかな~と推測^^

というのも、永禄5(1562)年に相良義陽が島津を裏切り 日向・伊東義祐に寝返るという事態が発生しているから。
永禄8(1565)年3月20日~島津義虎は長島領主・天草越前守を攻め殺し、長島を押領しています。

裏切った相良氏に打撃を与えるために、もっとも効果があるのが財源である明との交易ルートを脅かすこと。
具体的には相良氏配下である天草地方に侵攻することです。(←交易ルートに必須の制海権がヤバくなる)
天草地方の一つである長島は、薩州家本領の出水とは目と鼻の先でして、平成現代は国道389号線により陸路で移動できるくらい近いんです。

義虎の長島押領が島津宗家からの指示なのか薩州家の独断なのか、ハッキリと判る文書は残っていません
が、宗家から姫が嫁いでいるのを鑑みると、島津宗家が全く無関係とは考えづらいです。

少なくとも御平が嫁いだのは、相良義陽の裏切りという不測の事態が起きた為に、
相良エリアと隣接している薩州家との関係を、より一層強化する必要が生じたからじゃないでしょうか。

自分は薩州家と伊作で島津宗家が、本当に和睦したのは御平が嫁いだ時なのだと感じています。
年は15歳も離れていましたが、二人は仲睦まじかったようで、義虎の6人いた息子は全て御平が生母。
出産ペースも16歳、19歳、21歳、25歳、29歳、31歳と凄いハイペースです(@@)
床上げ早々からハッスル・・・・(._+ )☆\(-.-メ)オイオイ

ゲフゴホ、・・・乳母がいるとはいえ良く身体が持ったなぁ ( ̄ω ̄A;アセアセ
この出産ハイペースは、御平が実家である島津宗家と薩州家の融和に尽力した結果かと・・・^^;

※義虎正室の御平の履歴詳細はサイト「戦国島津女系図」を参照しました。
(各史料から島津関連の女子の記録を徹底して拾いあげた秀逸なサイト、当ブログと相互リンクしてます)

薩州家の歴史に長々と御付き合いありがとうございました。
この後の薩州家の歴史はカテゴリ「島津薩州家編」に譲り、相良と絡むあたりまで追い付いたところで、
次回から新たなシリーズ「相良と薩州家と菱刈と」(←データ整理・下準備ちゅぅ)に入ります。

島津氏分家筆頭の実力者にして薩摩国守護代の家柄である薩州家は、
戦国大名化する前の相良氏にとっての上位者(※)であったのだが、それは・またの話 by^-^sio
(※上位者~室町期の緩やかな支配関係におけるBOSS)

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