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Channel: 九州戦国ブログ~室町末期から江戸初期まで~
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【後篇・水俣城返還交渉】相良史・相良義陽---17

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一次史料~ガチで毎晩、枕元に置いて寝てます (人´∀`).☆.。.:*・
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相良史出典元:八代日記、南藤曼綿録、ほか

1560年?月?日~相良義陽の元へ火縄銃が献上された

ちなみに同年の5月19日が「桶狭間の戦い」で御存知・勝者は織田信長(=^・ω・^=)v ブイ


さて、前年の内乱のドサクサに水俣城を菱刈家に奪われてしまった相良家。
相良と菱刈のヤバイ空気に困ったのが、すぐ側の天草諸島の国人たちだ。
そこで(自分たちが巻き添えになるのを回避するため)水俣城返還交渉で一肌脱いだ。
時期は、織田信長が桶狭間してたころと同じ、5月のことです。

http://blog-imgs-49.fc2.com/s/i/o/siori20120901/amakusa.jpg
天草地方の地図~すぐ側に水俣城あります・島津の領地も近いから、相良と菱刈がケンカしてたら困るんです~)

天草の主な国衆は、五人衆(上津浦氏・志岐氏・天草氏・栖本氏・大矢野氏)です。

1560年5月10日~最初に上津浦氏からの使僧が、次に志岐氏の使僧が八代の義陽を訪問(おそらく意思確認

同年5月24日~人吉から八代へ報告「菱刈が水俣内の12屋敷と交換なら水俣城を返す」と返事あり

「12屋敷?なんじゃらほい」って感じだが、現在でも屋敷という地名があるので、領地なんだろうなぁ^^

6月18日~志岐氏の使僧が細かい報告のために相良家を訪問

7月2日~八代奉行の東左京進が水俣城・受け取りに出向く


どうも流れを見てると志岐氏が交渉仲介のメインだったっぽいんだが、
いざ返還当日になると~~~

7月3日~水俣城返還の仲介するよ~と、天草尚種が出て来て船を出し城受け取りに協力した

難しい交渉時にはいなかったのに、城受け取りという目立つ時に 天草氏参上!
このあたりの細かい経緯は不明^^;
とにかく水俣城は、無事に相良氏支配下に戻った。

http://blog-imgs-49.fc2.com/s/i/o/siori20120901/blog_import_5042c7d1beac7.jpeg 相良家紋ロゴ

さらにこの年、名和家との和睦も成立した

名和氏も1559年内乱時のドサクサに、たびたび八代に出兵してました( ̄ko ̄)

1560年4月8日~国人の合志氏+城氏(菊池三家老の一つ)が、相良と名和の和睦のため使僧を出す

この時代、仲介人無しで交渉することは殆ど無いです。
で、使いは都会なら公家もいるけど、地方なら僧が多い(寺院は軍事緩衝地帯です)
もちろん武将が直に派遣されることもある^^bケースバイケース

一時的にギクシャクした菱刈と違い、長年争ってた名和との交渉は難航したようだ。

5か月後の9月13日~合志氏から名和へ使僧が派遣される

9月16日~名和から八代の相良へ和平の使僧が派遣された

はっきりとした記録が乏しいのだが、この時に和睦が整ったらしく、その後・数年間は名和と相良の間で戦の記録が無い。

9月23日~ほっとしたのも束の間・肥前の有馬氏が、天草五人衆の上津浦に圧力をかける

この頃の有馬氏は全盛期で、龍造寺との戦いに敗れるのは、1562年(or1563年)の事です。

やぁ~~もう~~ほんとにほんとに記録が少ないが(涙目)相良家では上津浦へ援軍出したみたい^^;
だがヒョウタンから駒・禍転じて福となす~~~

11月?日~有馬からの圧力が契機になったのか、長年係争してた天草地方の上津浦氏と栖本氏が講和した

あっちも講和・こっちも和睦と和平ラッシュ~~~

http://blog-imgs-50.fc2.com/s/i/o/siori20120901/20130514210356f07.jpg 相良義陽イメージ画像

11月28日~和やかな空気の中、延期になってた相良義陽17歳と千代菊姫18歳が、ハッピー・ウェディング~

あぁ・・・この晴れ姿を亡きグランパ・上村頼興に見せたかった~ (゜-Å) ホロリ

千代菊姫は16代義滋の末娘で、系譜上は義陽の義理伯母にあたる。

まず、義陽の父・晴広は名君だったが養子だった。
しかも義陽生母も、いずこの名族姫という訳でなく家臣筋の家柄。

義陽の代になってから謀反が起きたのも、単に若年というだけでなく、血統的に嫡流ではない為に軽んじる雰囲気があったかもしれない。
義陽の相良家中における政治的基盤を強固にするために、16代当主の血を引く姫君を正妻にする必要があったのだ。

肥後が穏やかだった時は殆どないが、大きな圧力が無かったという点で、多少は波が凪ぐ時期だった。
なぜなら肥後守護職の大友宗麟が、毛利家とガチンコになり、肥後どころじゃなくなったからです^^;
この数年間の間に、義陽は自分の命運を決める「決断」をするのだが、それは・またの話 by^-^sio

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