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Channel: 九州戦国ブログ~室町末期から江戸初期まで~
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【前篇・裏切りの波紋】相良義陽---24

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島津・北郷・相良の三氏相互支援。

日向・都城を領する島津分家の北郷(ほんごう)にとっては、今回の宗家の意向に不満はない。

伊東が巨大になるのは、島津全体&北郷自身の脅威だからだ。

一方、相良義陽のメリットは?

と言うとハッキリしてるわけじゃないけど、

島津は「真幸・飯野・大明神の格護」を相良側に要請してたそうです。

格護(かくご)・・・聞きなれない言葉だと思いますが、意味としては≪大切にしまっておくこと。保管≫でして、

これが「歴史民俗用語としての解釈」になると、薩摩藩の田畑を占有または保持するの意になる。


真幸と飯野と大明神って、もう島津領でしたっけ?ヽ(。_゜)ノ 

と言う突っ込みは別にして、これが城代的な意味合いだとすると、

相良側には領地(真幸と飯野と大明神)を家臣に下賜する権限はないが、

その領地(真幸と飯野と大明神)からの収益は相良氏のもの

となるので悪い話ではないです。


ですが、それだと相良家臣・・・特に動員されたと思われる人吉衆にとっては不満だったでしょう。

大きい華やかな武功がないため、彼らへの恩賞や加増も特になかったんじゃないでしょうか。

この時、相良義陽は二十歳そこそこの若さで、武功に逸る家臣らの気勢を抑えるのは容易ではなかったと思います。

人物・相良義陽 相良義陽イメージ画像

カテゴリ・大河平氏でも触れたが、伊東の魔の手から逃れた北原旧臣の多くは、島津を頼ったらしい。

だって島津には日向に領地(といっても分家の豊州家と北郷の領地)があり、
特に飫肥城(豊州家)を巡って、長いこと伊東と島津が激突していた。
つまり敵(伊東)の敵(島津)は味方ってことです^^b

相良に寄宿してた北原兼親を擁立するアイデアを出した北原旧臣・白坂下総介も、
「島津家老の樺山氏に再就職していた」という記述があるそうです。

従って北原家の御家再興によって戻ってきた北原旧臣たちは、純然たる北原家臣に戻ったわけではない。
一度、島津家臣として随臣し、形の上で北原家臣として出向してるだけだったんです。

北原兼親が飯野に入った際、樺山幸久(島津家老)の勧めるままに(てか逆らえない)
栗野という土地を島津に割譲したという記述があるそうだ。

北原家当主は「伊東の傀儡当主・超庶流・馬関田氏」から「島津傀儡の北原兼親」にスライドしだだけともいえる。
(血統的には島津傀儡の北原兼親の方が遥かに正当性がある)
北原家の完全没落への推移を見ても、兼親が島津の傀儡当主であることに、
兼親自身もナンダカナーとモヤモヤだったろうし、
北原家中でも不満というか、兼親を軽んじる空気があったのでは無かろうか。

伊東もヤバイが、今度は島津に北原が乗っ取られる~(_´Д`)アイーン 
危機感を覚えた北原兼親の叔父・北原左衛門尉が伊東へ内通した!
家紋・相良 相良家紋ロゴ

1563年3月18日~伊東家からの使者が相良家(球磨・人吉の方)を来訪
10日ほど滞在~この間に伊東と相良の盟約の話を詰めたらしい、
使者は3月27日に帰国
相良氏では、八代と人吉を分割統治しており、義陽は双方を定期的に移動していた。
4月27日に人吉から八代へ移動し、5月1日に義陽を訪ねて島津と北原からの使僧が八代へ訪問している。
もちろん義陽は伊東との裏盟約のことは、おくびにも出さず何食わぬ応対をしたことだろう。

5月14日~伊東+相良の連合軍が島津家の大明司塁を攻め落とす
島津にとっては「寝耳に水」の相良裏切り!!

ぶっちゃけ義陽にとっては日向・真幸院への出兵より、幼君当主で揺れる名和の領地の方が欲しい。
早く日向のグダグダから手を引きたかったことだろう。

義陽の面白いというか、どこか伸びやかな育ちの良さを感じるとことは、
この裏切りで島津との友好関係まで完全破綻する・・・とまで考えていなかったようなのだ。

1564年~義陽は言い訳の使者・東出羽を島津家に送るのだが、その東出羽が島津家で何かやらかしたらしい。
(というより、言い逃れできるような事態ではない)
1564年2月11日~島津と相良の友好関係は破綻し、
島津軍が相良の大口城攻撃を開始する
若年で家督を継ぎ大事に育てられた相良義陽と、
幾多の修羅場を潜り抜けて来た伊作島津氏の日新斎や貴久・そして4兄弟たちとの差が、ここで出てしまったのだろう。

島津家は相良義陽へ打撃を与えるため、明との交易で必要な要衝地・天草地方へ介入する。
天草へ攻撃を仕掛けるのは、かつては宗家の敵として日新斎と貴久を手こずらせ、
世代交代した現在は頼もしい味方となった島津氏分家筆頭にして薩州家当主・島津義虎だ!

島津義虎~~好き好き好き好き~~(*´艸`)激萌!
島津氏の分家で一番好きなのが義虎の薩州家~~~川* ̄д ̄*川ポッ 

だんだんと追い詰められて行く相良義陽は、かつては敵対していた阿蘇家と家老・甲斐氏との接触を始めるのだが、それは・またの話 by^-^sio

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