お久しぶりです・・・コソコソ・・・ |壁|_ ̄)じぃー
まだ試行錯誤中ですが、感覚を掴みたいので久々あっぷっぷ~~
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はじめに・・・本業(肥前史研究)とは違い歴史記事の資料等は他力本願で提供受けてます。
(本業の方も入手には、ご協力いただいてます^^;)
ですから記事にした以上の事は、シオ自身にも判らないので、その辺はお含みおきくださいm(__)m
で、いまさらなんだけど、この書庫(手抜きして書いてなかった)大河平氏に関する出典の話。
前回大河平氏_6で紹介した「伊東義祐の降伏勧告のセリフ」と、それに対する「隆次の拒否回答」。
この部分だけが『諸県興亡』から。
書庫全体の出典は「物語り 大河平氏」です。
伊東勢VS今城の大河平氏・・・通称・今城合戦に関する記述で、上記二冊の内容に大きな相違はありません。
ただ書き方が今風か昔風かの違いがあるので、ニュアンス等は読む人によって受け取り方は違うかもです。
ただ前回の文体から判るように「諸県興亡」のセリフの方が戦国ムード満点なので、記事にするにあたって、
双方の遣り取り部分のみは、「諸県興亡」から引用しました。
これは必ずしも確定した事実ではないのですが、
今城合戦に関しては「えびの市史」「諸県興亡」「物語り 大河平氏」、この三つの元出典は同じじゃなかな~。
ただし、あくまでも未確認です。
と、いうのは上記三つとも、大元の出典が何になるのか記載されてなかったからです^^;
では何故に同じっぽいっす~という印象を受けたか・・というと、
(資料提供者⇒)監修様曰く「これまで一次史料で今城合戦の詳細を見かけた事がないから」です。
大河平氏は島津家臣なので「本藩人物志(二次資料)」に登場するんですが、あんまり詳しくないそうです。
なにせ家老でもないし、譜代でもない、小領主ですから^^;
大河平氏の主君・北原兼親の飯野城は、島津義弘が入った事で戦国オタには知られています。
島津義弘が飯野城に入ったのは、今城合戦のあと。
北原兼親の言上を受け入れた義弘は、島津勢を今城から撤収してたので、今城合戦に島津勢は直接関わっていません。
だから島津にとっては「直接の接点が少ないため詳しくない」わけです。
「北原兼親の言上で義弘が今城から撤兵した」という事が、本藩人物志に記載されていたのは(監修様に)確認済みですが、
言上の中身は書いておらず、経緯の詳細は「えびの市史」「諸県興亡」「物語り 大河平氏」に頼るしかないわけです。
まぁ、限られた地域の郷土史というのは、そういうものなのかもしれません。
出典を整理したところで、いよいよ今城合戦なのだが、それは・またの話 by^-^sio