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はじめに・・・本業(肥前史研究)とは違い歴史記事の資料等は他力本願で提供受けてます。
(本業の方も入手には、ご協力をいただいてます^^;)
ですから記事にした以上の事は、シオ自身にも判らないので、その辺はお含みおきくださいm(__)m
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出典元:大河平氏家譜(仮称)---非公開のため原典未確認です
参照史料:『えびの市史』『本藩人物志』(その他の参照史料は文中、都度明記します)
参照文献:『物語り 大河平史』『諸県興亡』
※文体からの推測として原典に近いのが『諸県興亡』で、現代語訳した(と思われる)のが『物語り 大河平史』
※『えびの市史』『諸県興亡』『物語り 大河平史』は合戦の日付から大河平氏家譜が出典元と推測される。
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≪記事内ルール≫
青文字⇒⇒史料&文献参照
緑文字⇒⇒補足&解説となる部分
白文字⇒⇒分析・推測・・つまりIFバナなので、苦手な方はスルーで^^;
本来であれば論証できないIFバナをダダ漏れするのは、歴史記事においてはNGなんですが、
ここは研究内容とは別の趣味だって事と、
自分が記事にしながらでないと脳内整理出来ないオバカなんで御勘弁下さい。
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今城跡は毎年5月29日の夕刻には堀切りに於いて、
剣戟や轡(くつわ)の音が聞こえると言い伝えられている。
(※本藩人物誌では合戦は5月30日)
さて、滅びたと思われた大河平一族でしたが、わずかですが生き残りがいました。
今城で討死した八重尾の末子・与次郎(12歳)は手習いのため狗留孫山寺に修行に行っていたため災疫を免れ、
島津義弘に取り立てられ木浦木(小林市)の旧領を与えられ、北方辺路番の任務についた。
名を八重尾重紹とした。
八重尾氏は史料ですと菊池氏庶流となってたんですが、どうも違うみたいです^^;
大河平氏との系譜上におけるつながりは判りませんでした。
ちょっと気になるのが「いつ取り立てられた」なんですが、そこまで突っ込むのは野暮かもしれませんね^^;
ついでに気になるのは「末子」てことは兄は・・・・いえ、なんでもありません(´・`)
同じく討死した大河平隆堅(隆次の叔父)の次子・隆重(6歳)は商人に扮した家人に救いだされた。
6歳にして家とパパンを失っちゃったのか・・・さすが戦国(-ω-;)ウーン
隆重少年は次子・・つまり次男でして、系図にある嫡男兄・隆光も今城で討死です。
系図をみると兄・隆光には子供がいなかったようなので、隆重少年は大事な生き残り。
御家再興の切り札になるかもよ?(*´pq`)クスッ
(隆重少年、その後は別記事にて紹介します^-^)
さらに、いま一人・・・生き残りがいました。
それが少年城主・隆次の姉姫・ナミです。
隆次とナミは4歳違いですので、今城落城時点で彼女は19歳~花の盛り・・川* ̄д ̄*川ポッ
ナミは球磨郡の皆越家に嫁いでいたので、戦火の巻き添えを逃れることが出来ました。
今城の落城や一族郎党の討死により、ワンピースじゃないナミは実家を失ったんです・゜・(PД`q。)・゜・
え~っと、何度も言ってるが大河平ファンなので、
実はナミ姉さまに関しても「かなり美化された脳内イメージ設定」がありまして・・川* ̄д ̄*川ポッ
その気になればナミ(だけ)で妄想小話いけちゃう~~萌バナはファン限定で・・(._+ )☆\(-.-メ)自粛!
ナミが嫁いでいた皆越氏は球磨と日向の国境を守る地頭職を代々務めた家柄でして、
全盛期の北原が相良領に侵攻した時も、撃退するために一役買ってるし、
義陽の代で叔父である上村三兄弟が謀反を起こした時に、誘われたが毅然と断る相良配下の国人でした。
(ただし八代日記=一次史料では謀反側に従ったとあり、断ったとするのは南藤蔓綿録=二次史料)
皆越地頭は六郎左衛門ではないので、ナミの夫は皆越家の一門クラスじゃないでしょうか。
とIFバナする根拠なんですが、
大河平氏が八代から真幸院に入るときに、皆越氏に大変世話になったそうなんです。
で、ナミを嫁にと所望したのは皆越側からだったそうな。
世話の具体的な中身はワカランチン~ヽ(。_゜)ノ
推測するなら、大河平が真幸院に行くってとこがポイントになります。
皆越氏は相良と北原の国境の地頭で、北原氏に脅かされた過去から、北原情報を欲しかったのかな~と。
大河平と縁戚関係になれば、主家である北原家の内部事情も多少は漏れ聞こえてくるでしょう。
その逆も然り。
ナミが皆越に嫁げば、皆越の主家である相良の動きも入手できます。
そしてナミは、その危険なスパイ行為をやってのけたんです!
今城落城から4年後の1568年、大河平氏嫡流最後の姫・ナミは、
嫁ぎ先の皆越家から入手した相良&伊東氏の軍事情報を島津義弘にリークする!
このナミによる情報リークが、大河平氏御家再興の契機となるのだが、それは・またの話 by^-^sio