残暑厳しきおりに、風邪っぴきです・・・il||li _| ̄|○ il||l
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はじめに・・・本業(肥前史研究)とは違い歴史記事の資料等は他力本願で提供受けてます。
(本業の方も入手には、ご協力をいただいてます^^;)
ですから記事にした以上の事は、シオ自身にも判らないので、その辺はお含みおきくださいm(__)m
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出典元:大河平氏家譜(仮称)---非公開のため原典未確認です
参照史料:『えびの市史』『本藩人物志』(その他の参照史料は文中、都度明記します)
参照文献:『物語り 大河平史』『諸県興亡』
※文体からの推測として原典に近いのが『諸県興亡』で、現代語訳した(と思われる)のが『物語り 大河平史』
※『えびの市史』『諸県興亡』『物語り 大河平史』は合戦の日付から大河平氏家譜が出典元と推測される。
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≪記事内ルール≫
青文字⇒⇒史料&文献参照
緑文字⇒⇒青文字にないが、補足&解説となる部分
白文字⇒⇒分析・推測・・つまりIFバナなので、苦手な方はスルーで^^;
本来であれば論証できないIFバナをダダ漏れするのは、歴史記事においてはNGなんですが、
ここは研究内容とは別の趣味だって事と、
自分が記事にしながらでないと脳内整理出来ないオバカなんで御勘弁下さい。
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1563年・・・相良の裏切りにより、皆越氏(主君・相良)と大河平氏(主君・島津)は、敵味方の立場になる。
相良義陽のために、大河平一族全ての人の運命が狂わされたのだ。
1568年・・・大河平ナミは23歳。
相良家臣・皆越家に嫁いでから、推定で5年以上だがナミは子宝に恵まれなかった。
今城の落城玉砕で実家(大河平)を失ったナミに対し、口さがない者は容赦なく「石女」の烙印を押しただろう。
嫁が姑の介護を拒否したり婚家を足蹴にする時・・・それは往々にして婚家が嫁を蔑ろにし続けた結果が招いた場合が多い。
常日頃から大事にされていれば、嫁ぎ先へ明らかに迷惑になる行動は出来ない・・・武家の妻なら猶更だ。
ちなみにナミが情報を入手した顛末なんだけど、
『諸県興亡』によると(要旨抜粋)
島津家が菱刈家との戦いに突入した際、永禄11年(1568年)8月に飯野城を挟撃すべく伊東義祐は、相良に密使を派遣した。
その使者が皆越家に泊まりその使命を語った。
それを聞いたナミは腹心の八重尾岩見を遠矢良賢に派遣、
その事実を伝えさせ、遠矢は直ちに義弘にこの事を伝えた。
これってナミが襖越しに立ち聞きし・・・(._+ )☆\(-.-メ)オイオイ
ゲフゴホ・・前回、いいだしっぺ不明って書いたが、『諸県興亡』だと伊東義祐からの発案になってます。
伊東が密使を派遣した時期については、書かれていません。
いずれにせよナミの軍事情報リークによる利敵行為は、
離縁とか尼寺行きなんて生温いものではなく、土牢へ生涯幽閉か速攻成敗されるレベル。
ナミの夫・皆越六郎左衛門は妻を離縁も成敗もせず、相良や皆越一族の追手から守ったのだろう。
(もっとも「大河平再興当主の座」というニンジンがぶら下がってたけどwww)
(傍証となる史料はネタバレになるんで今は内緒(^ -)---☆Wink)
でもって、相良側にはナミの軍事情報リークについては「一切記録はない。」
だってね~~相良家にしたら恥ずかしい話だもんネー(*´・д・)(・д・`*)ネー
大河平編では悪役な相良義陽イメージ画像^^;
大口城攻略~後半は親指武蔵の異名をとった新納忠元が中心なので、
相良氏まで突っ込んで調べてない普通の?島津ファンなら「大口城=新納忠元」のイメージの方が強いかもです。
ですが、前半の段階では攻略の中心は猛将・島津義弘でした。
1568年1月に大口城を攻略しようとした島津義弘が大敗北しちゃうんです^^;
これだけ書くと「なぁ~んだ」と思うかもですが、大口城では負けてるけど全体の形勢は島津有利に傾き始めてて、相良義陽は安心できる状況じゃなくなってました。
真幸院が欲しい伊東義祐が、飯野を拠点にしてる島津義弘を煙たく思うのは当然。
島津義弘が菱刈氏(相良配下の大隅国衆)攻略で不在の隙に飯野城を挟み撃ちしようーー
という伊東と相良のタッグは、そんな空気のなかで組まれた。
その作戦が実行に移されたのが1568年8月。
既に島津側はナミの情報リークによって準備万端(=^・ω・^=)v ブイ
相良勢は大明神城で島津勢に進軍を阻まれたので球磨へ帰っちゃった~やむなく伊東勢は田原山に桶平城を築く。
伊東軍がエリア内に築城した事に対し島津は速攻でリベンジした。
登場するのが先に挙げた島津義弘家臣にして飯野衆・遠矢良賢(とうやよしかた)なのだが、
それは・またの話 by^-^sio