にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代 http://history.blogmura.com/his_sengoku/
≪はじめに≫
本業(肥前史研究)とは違い歴史記事の資料等は他力本願で提供受けてます。
(本業の方も入手には、ご協力をいただいてます^^;)
ですから記事にした以上の事は、シオ自身にも判らないので、その辺はお含みおきくださいm(__)m
------------------------------------------------------------------------
参照元:
史料(孫引き)-秋月家譜、高鍋藩史話、南藤曼綿録、
WEBサイト---武家家伝_城井氏、戦国ちょっといい話悪い話まとめ、豊前の伝承あれこれ
------------------------------------------------------------------------
今回のデータは玉石混合で、表題にあるように歴史記事ではなく「小説」です 川* ̄д ̄*川ポッ
尺や予算と制約のある大河ドラマでは端折られた、様々な逸話と豊前に残る伝承などがベースです。
でもって更に捻って、城井朝房の正室・竜子の目線で城井一族の悲劇を描きました。
素人のチラ裏ですので、こんな話にもなるんだ~と大河の裏フィクションをお楽しみ頂ければ幸甚です^-^
------------------------------------------------------------------------
北九州の豊前国の国人領主・城井(きのい)氏。
(※大河では「きい」と読んでいますが、自分は「きのい」の呼称が好きなんです)
藤原氏道兼の流れをくむ家柄で、とにかく勢力が大きい。
<<基礎データ>>
一族(11家)⇒山田家・野仲家・佐田家・仲八屋家・如法寺家・如来家・大丸家・深水家・西郷家・奈須家・伝法寺家
勢力範囲⇒宇佐・下毛・筑城・中津・田川~豊前国南部です。
諱につく通字は「房」のようです^^
1185年~城井信房が平家の残党狩りのために九州へ下向したのが歴史の始まりです。
でもって城井家は守護職の御家柄(=^・ω・^=)v ブイ
守護といっても実は鎌倉時代です。
1195年~豊前国守護職になります。
南北朝時代~最初は南朝側でしたが、足利尊氏が九州でリベンジ開始するとともに北朝側にシフトチェンジ。
1352年~筑後・豊前・下野二郡の守護補佐に任命される。
ところが歴史の大きな流れでは、足利尊氏が室町幕府を開くのですが、
九州での「南北朝の戦い」では、最初は南朝側が優勢だった時期があったために、
城井家は次第に衰微しちゃって、盛り返すことなく戦国時代に突入しちゃうの。
衰微~といっても、国人領主としては大きな勢力(城井単体で2~3万石&一族11家)なのですが、
城井家の真の望みは、鎌倉の守護職時代の栄華を取り戻すことだったんです。
ちなみに豊前の守護職は、室町時代は中国地方の大内氏、大内が没落してからは大友家です。
城井家が鎌倉時代の栄光を取り戻すのは容易では無いですね。( ̄ω ̄A;アセアセ
肥前で少弐(龍造寺家の主君だった家)がいた時は少弐家の配下。
少弐が没落して大内義隆がガンガン来てる時は大内の配下。
大内が没落して大友宗麟が出てきたら大友の配下・・・・なんだけど大人しくは無い,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
大友が悩まされた筑前国衆・秋月種実が「筑前の騒乱(国人領主の大量離反・1567~1568年頃)」を引き起こした時は、
城井家は秋月に呼応して、大友に敵対しているし、(後日、降伏する)
1580年に大友の分家・田原氏が謀反を起こした時は、城井家は謀反側に加担しています。
大友家が没落してからは、島津の配下です。
あ!肝心なことを忘れてた!城井家の御本家は栃木の宇都宮家だ!!
城井家と本家・宇都宮家は、鎌倉時代の少し前に九州と関東に別れたにも関わらず、
とっても仲が良くって、戦国の頃も双方で_φ(.. ) お手紙カキカキ やりとりしてたの。
シオが城井氏が好きな理由の一つです。
筑前の有力国人・秋月種実は、城井家と婚姻による同盟関係を結んでいました。
秋月種実の長女・竜子が城井家に嫁いでいます。
ただ、かなり頑張ったけどネット検索では「竜子が城井家に嫁いだ時期」が解りませんでした。^^;
そして秋月竜子と、彼女の嫁いだ城井家が、黒田長政・如水親子と大きく関わることになるのですが、
それは・またの話 by^-^sio