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相良義陽_31【前編_諱は義陽・官位は修理大夫】

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≪はじめに≫
本業(肥前史研究)とは違い歴史記事の資料等は他力本願で提供受けてます。
(本業の方も入手には、ご協力をいただいてます^^;)
ですから記事にした以上の事は、シオ自身にも判らないので、その辺はお含みおきくださいm(__)m
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≪出典元≫
相良サイド---八代日記(一次史料)、南藤曼綿録(二次史料)
島津サイド---本藩人物志(二次史料)
他参照文献があれば、都度明記します。

なお、島津氏の女性については、相互リンクしているサイト戦国島津の女達を参照しております。
※サイト管理人は在野で島津氏の女性史の(一門全般を網羅)研究されている方です。
※データスペックは歴史家の某作家が自身のブログで島津女性を記事にする際に参照するほどです。
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≪記事内ルール≫
青文字⇒⇒史料&文献参照
緑文字⇒⇒補足&解説となる部分
他文字⇒⇒分析・推測・・つまりIFバナなので、苦手な方はスルーで^^;
本来であれば論証できないIFバナをダダ漏れするのは、歴史記事においてはNGなんですが、
ここは研究内容とは別の趣味だって事と、
自分が記事にしながらでないと脳内整理出来ないオバカなんで御勘弁下さい。
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さて、もりだくさんな1564年は続く__φ(.. ) メモメモ
同時進行で色々あるんで、紹介するのは年月日が前後してます^^/
1564年2月~細川藤孝から相良義陽へ官途状が発給される
官途状とは室町将軍の大盤振る舞いで「官位や受領名の私称を許す」というものです。

発給された書状の中に「義御字之事 任先例 被加御袖判 御拝領候」とあります。
シオ読み下し__φ(.. ) 
「義の御字の事、先例に任す①
御袖判加(くわ)被(ら)れ、御拝領候②」
さぁ~古文書学の時間ですよぉーo(* ̄○ ̄)ゝーーーー!
まず短い文章ですが二つの内容が盛り込まれています^-^
(ちなみに細川藤孝が取次した室町将軍は足利義輝)

①に関する解説
義の御字とは、室町将軍・足利義輝の諱にある義の通字のことです。
通字は先祖代々受け継ぎ諱の中に入れる文字なので、名前の文字でも「輝」を拝領(偏諱)されるより「義」を拝領される方が格(グレード)が上です。
偏諱(一文字拝領)には本来であれば名字状(参考:横岳家文書)が発給されるものなんです。
もらったけど現存してないのか、官途状に「先例あるからOK」とあるので名字状は省略したかの、どっちかでしょう。

②に関する解説
「御袖判」とあるのは将軍・足利義輝が何らかの文書に花押をφ(.. )カキカキとサインINしたって事です。
①において「先例に任す」とあるので、偏諱とは別の件で、かつ書状そのものが官途状であるという事から、
義輝が袖判したのは「室町殿袖判口宣案」の事と思われます。

口宣案(くぜんあん)と室町殿袖判口宣案は、カテゴリ古文書学入門で解説した通りです__φ(.. )

室町時代は公家様文書である口宣案に袖判することで、任官手続きを完了させちゃう官途抜け道コースを作ってたんです。
とうぜん、こんな抜け道は江戸期にはありません(口宣案という文書形式自体は続きます)

②の最後に「御拝領候」とあるでしょ?
超意訳すると「官位を称してもOKだっぴょ~ん♪」って感じ^^/

「修理大夫」の任官日は不明ですが、「義」を拝領したのは1564年9月13日だと言われています。
(と監修様から教えて頂いたので、現存していない名字状の日付が永禄七年九月十三日だったって事になると思う)

義輝に仲介したのは細川藤孝で、八代に欲説下向し下賜する役を担ったのは上野輝秀とあります。
(上野輝秀・・・輝の偏諱を受けてるので足利義輝の家臣と思いますが詳細は判りませんでした)

翌年1565年3月に義陽は室町幕府へ御礼の進物を送ってて、内容は以下の通りです。
1)将軍義輝→国光作の太刀・黄金100両
2)慶寿院(義輝の生母)→黄金10両
3)小侍従(義輝の側室)→黄金5両
4)細川藤孝→黄金10両・太刀馬代黄金3両(太刀馬代は必要経費か?)
宮中へ進物を贈ったかは解りません。本来なら贈る慣例のはずですが、記録としては無さそうです。

室町殿袖判口宣案の解説にも書いたけど、当時の礼金って斡旋する官位によって決まってまして__φ(.. )
この場合の相場が30両だったそうで、100両は三倍以上と破格の金額( ゚д゚)ンマッ!!
これについては長くなるんで後編でお話したいと思います

でもって問題発生~この任官と偏諱(名前の拝領)にクレーマー出現!それは・またの話 by^-^sio

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