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大河2014_裏小説【黒田家の陰謀_8・最終回】

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熊本県玉名郡玉東町に宇都宮神社がある。
祭神は三つ。
・春日皇大神(武甕槌命,経津主命,天児屋根命,比売神)
・南北朝時代に活躍した肥後宇都宮氏の最後の当主
黒田家の刺客により非業の死を遂げた、城井朝房(きのい ともふさ)


尊敬する黒田官兵衛の頼みで、城井朝房が殺されるのを「見て見ぬふりした」加藤清正だったが、
余りに悲惨な現場(焼き殺された)に祟りを恐れ、朝房の鎮魂のために、朽ちていた「宇都宮神社」を再建し、朝房を祭神としたのです。

一方、黒田長政ですが城井鎮房(きのい しげふさ・朝房の父)を殺した時の刀・兼光を、
「城井兼光(刀は福岡の美術館で現存)」と呼び、己の武勇を誇った・・
と、ありますが、ほんとのところは「魔除けの守り刀」だったりして(*´pq`)

というのも、城井家を騙し討ちして以来、長政の夢枕に毎夜、城井鎮房の亡霊が現れたからです。
城井にトドメを刺したのは後藤又兵衛で、作戦立案は父の黒田官兵衛なのですが、
なぜか亡霊は吉兵衛長政クンのとこに出たそうな,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

とにかく亡霊を鎮めるために黒田家では中津城内に「城井神社」を建立したのです。
その「城井神社」ですが、関ヶ原の論功で中津から福岡に引っ越すときに、神社も福岡城内に移してます。
黒田家では、秀吉の手前、仕方無いとはいえ余程後味の悪い出来事だったのでしょう。
ちなみに官兵衛が息子・長政に家督を譲ったのは、城井抹殺の翌年でした^-^

家紋・黒田 ロン様作成・黒田家紋ロゴ

さて、話を大河の裏主役の竜子(城井朝房の妻&秋月種実の長女)に戻しましょう。
舅である城井鎮房の配慮で、城井谷を脱出した彼女は兄嫁の実家でもある筑前の霊場・英彦山(ひこざん)で匿われ、無事男子を出産しました。
その後、母子ともども竜子の実家である秋月家(日向・高鍋3万石)の保護を受けたのです。
黒田家の追手が届かなかったのは、小大名とはいえ歴とした武家の保護下にあったからでしょう。

そして城井一族抹殺から11年後の慶長4年(1599年)のことです。。。。

「母は、じきに旅立ちます」
「母上、、、わたくしは御供できぬのですか?」

末房(幼名が解らなかったので諱の方で)が、心細げに訴えた。
「なりませぬ!そなたには城井家の御家再興という重大な使命があります。それに母は相良家に嫁ぐのです。連れ子を同行させることは出来ません」

竜子は心を鬼にして厳しい口調でハッキリと伝えた。

「そなたが、こうして無事にいるのは、秋月家の保護があったればこそです。その恩に報いねばなりません。」
「大恩ある秋月の兄上(秋月種長)から、秋月のために相良に嫁いでくれと頼まれて、これに応えなければ人ではありません。」
「そなたが無事、元服を迎えるまでは秋月の世話になるのですから、兄上によくよく頼んでまいりましょう」
「城井の御家再興については、下野の本家・宇都宮家が動いて下さってます。元服の暁には関東へ出向き、宇都宮家を頼るのですよ」
「宇都宮の本家の皆さんには頭を低くして、分家の分際を超えてはなりませぬよ、何事につけ御本家を立てるのを忘れてはなりません」

そして竜子は文箱を取り出し、末房に渡すと言った。

「この文箱には城井谷の旧家臣と交わした文が入ってます。今後は、そなたが預かり折々に文を交わし互いの消息を知らせるのですよ。」
「一人前になったら、城井谷に行って、そなたの成人した男姿を家臣たちに見せるのです。」
「病は気から・・と言います。不用心して風邪ど引くような不心得があってはなりませぬよ」

「・・・・っ」言葉を続けようとして竜子は思わず涙が零れた。
(いけない、わたくしが気弱になっては、残される末房が不安になってしまう)

涙を呑みこむと、竜子は再び口を開いた。
「最後に重要なことを言い渡します。そなたの父と祖父・一族を卑怯にも騙し討ちした黒田家への報復は、ゆめゆめ考えてはなりませぬ。そのこと、この場で母と約束するのです」

末房は目を大きく開き驚きの表情を浮かべた。
「母上、なぜですか?一族の仇を討ってこその御家再興ではありませぬか?」

(こういう気かんきなところは、わたくしの子供の頃に似てる・・)
「そなたが、黒田家の仇討を公儀(この場合は豊臣政権)に訴えたらどうなると思いですか?」

竜子が尋ねると末房は訳が解らないといった表情を浮かべた。
「そうなれば、黒田家は全力でそなたを潰しにかかるでしょう。」
「そなた一人だけで事は治まらず、宇都宮の本家、秋月家、そなたが産まれるまで匿ってくれた英彦山の座主さま・・たくさんの人に御迷惑が及びます」
「恩を仇で返すことになっては申し訳が立ちません。仇討のことは考えず、一筋に御家再興のみを目指すのです。さすれば道は必ず開けます」

「わかりました!約束します。御家再興のみ考えます・・・さすれば・・・きっと大丈夫ですね!」
末房は竜子の口クセ「きっと大丈夫です」をいつの間に覚えて真似するようになっていた。

(まぁ・・・この子ったら・・・)
そばで控えていた侍女たちが、末房の健気な返事に袖を抑えて泣いていた。

慶長4年(1599)6月8日、秋月竜子は相良頼房(後の人吉藩初代藩主)へと再嫁した。
でもって翌年の12月13日に嫡男・頼寛(よりひろ)を産んでいる。
没年は1634年1月31日、享年63歳・・・波乱の生涯でした(-人-)☆彡

********史実への道**********************
実は相良頼房に嫁いだ竜子は、同じ秋月種実の娘でも別人説がある。
出典は『高鍋藩史話』
『種実には八人の娘があり、
長女タツは初め宇都宮弥三郎(城井朝房)に嫁し不縁となり、入江主水に嫁して一子”斉宮”を生んだ。
次女は僧に嫁し、墓は京都法園寺にある。
三女は加藤清正の臣 加藤右馬允に嫁し、
四女は馬ヶ岳城主・長野三郎左衛門に嫁し、種長の養子となった種貞を産んだ。
五女は平戸の松浦家に、六女は人吉の相良家に七女マツは板浪清左衛門長常に、八女クフは秋月蔵人直正に嫁した。この内、末の二人は薄命の終りであった』。
では、これで決まりかというと六女の名前が不明&秋月家の系図は一部不明な点がありで特定できない^^;
それと長女・タツが生んだとされる入江斎宮は正保元年に出奔(理由不明)し、系譜上で辿れなくなってて調べきれない^^;
そのため大河裏フィクションでは、通説通りに秋月竜子が相良頼房と再婚した事にしました^-^
************************************

城井家の御家再興は結果から言えば不発に終わった。
一時は順調でして、分家と仲良し御本家・宇都宮家の城井氏御家再興運動が実を結び、徳川家康の息子・結城秀康が働きかけてくれたのだ。

末房は徳川家康に拝謁することに成功し、「朝末」という名前を貰い、
「大坂の陣」の働きで御家再興(つまり直参旗本に取り立てる)しよう~という手形を貰った。
朝末は、旧城井家臣とともに出陣~~ところが直前に病となって倒れ、無念のうちに亡くなってしまう。il||li _| ̄|○ il||l

だが天は城井家を見捨てなかった。
死んだ朝末には春房(一時期は秋月の通字を入れて種房だった)という男子がいて、
やっぱり本家の宇都宮家が面倒を見た結果、春房の子・信高の代で越前松平家藩士として家名存続に成功明治まで続く。

越前松平家でも亡き結城秀康が請け負ってただけに、城井家の不運に同情し「何とかしてやりたい」との配慮が働いたようだ。
とはいえ秀康死後、派閥争いでグダグダになってた越前松平家で、微禄でも城井家が藩士として召し抱えられたのは奇跡に近いだろう。
ちなみに、このころには城井は宇都宮姓に復姓してたらしいので、大河も丸っきり間違いではないとも言える^^;

黒田家の城井抹殺に関しては長いこと温めてたネタで「いつかやりたい話」の一つでした。
ほんとは福岡藩初代藩主編でやりたかったけど「九州の関ヶ原」を描く過程で盛り込むことが出来ず、下書きストックだけしてて温存してました^^

で、ちょうど大河で城井一族が登場したので、便乗した次第です。
ホントは、ちゃんとした歴史記事で郷土史紹介すべきだったかもですが、
本業で史料購入してる都合で、お財布的に他地域の史料入手が出来なかったんで、ゆるく小説ってスタイルにしました。
長編かつ素人の趣味にお付き合いありがとうございました。m(__)m

大河の放送に合わせて猛スピードで更新してたので、また歴史記事のほうはマイペースに戻しますので、宜しくお願い致します^-^

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