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Channel: 九州戦国ブログ~室町末期から江戸初期まで~
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相良義陽_32【後編_諱は義陽・官位は修理大夫】

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訪問が遅れてすいません~ちょっと忙しくしてました~
にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代 http://history.blogmura.com/his_sengoku/

≪はじめに≫
本業(肥前史研究)とは違い歴史記事の資料等は他力本願で提供受けてます。
(本業の方も入手には、ご協力をいただいてます^^;)
ですから記事にした以上の事は、シオ自身にも判らないので、その辺はお含みおきくださいm(__)m
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出典元:
相良サイド---八代日記(一次史料)、南藤曼綿録(二次史料)
島津サイド---本藩人物志(二次史料)
他参照文献があれば、都度明記します。

なお、島津氏の女性については、相互リンクしているサイト戦国島津の女達を参照しております。
※サイト管理人は在野で島津氏の女性史の(一門全般を網羅)研究されている方です。
※データスペックは歴史家の某作家が自身のブログで島津女性を記事にする際に参照するほどです。
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≪記事内ルール≫
年号は旧暦表記です
青文字⇒⇒史料&文献参照
緑文字⇒⇒補足&解説となる部分
他文字⇒⇒分析・推測・・つまりIFバナなので、苦手な方はスルーで^^;
本来であれば論証できないIFバナをダダ漏れするのは、歴史記事においてはNGなんですが、
ここは研究内容とは別の趣味だって事と、
自分が記事にしながらでないと脳内整理出来ないオバカなんで御勘弁下さい。
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永禄7年(1564年)相良義陽の修理大夫任官と偏諱(義の一文字拝領)にクレーマー出現!

それがキングオブ大友のドン・フランシスコ宗麟です^^

人物・大友宗麟人物・大友宗麟

一昔前は「義」の文字拝領に対するクレーム・・・と言われてましたが、
近年ではホントに切れたのは修理大夫任官の方とされています。

これはシオも、そーだろな~って感じてます^-^
これは前編で挙げた参照史料「細川藤孝から来た室町将軍家よりの官途状」に「義御字之事 任先例」とハッキリ明記されてるからです。
先例というのは、16代目当主・相良義滋が足利義晴から義の一文字拝領の事です。

先例があれば文句のつけようがありませんから、これにクレームするはずありませんよね^^b
大友宗麟からのクレームは実力者のパワハラではく、
そもそも義陽の修理大夫任官が異例だったからです。
えっと、まず修理大夫を分解すると修理職(部署名)の大夫(部署のTOP)って事です。
でもって武家官位には、特に規定なしの「通常官途」と家格や先例などで任官を受ける「上位官途」があります

部署のTOPである大夫の地位は、この上位官途に属してます。
家格の目安となる律令制における官位では、従四位下の家柄でないと任官されない地位なんです。

これまでの相良家は従五位下で、義陽の代で「従四位下&修理大夫」デヴュー(=^・ω・^=)v ブイ
ちなみに義陽以降の相良当主は再び元の従五位下に戻ってるので、
全盛期の相良氏が先例の壁を突破するだけの実力(財力)を保持してたって事なのネー(*´・д・)(・д・`*)ネー

ほら前編で相良義陽が相場の3倍強の御礼してたじゃないですか( ̄ko ̄)
先例の壁を突破するわけだから、御礼は弾まないとなのネー(*´・д・)(・д・`*)ネー

では本来の従四位下&修理大夫の御家柄と言いますと・・・・・・
皆さん察しはつきますよね~はい、クレーム捻じ込んだ大友家で~す^^/

フンフンフン♪宗麟のパパ義鑑は従四位上、修理大夫♪
フンフンフン♪宗麟のジィジ義長は従四位下、修理大夫♪

でも宗麟が更に上の「正四位下、左衛門督」に任官されてたんで、どうも修理大夫BOX席が空いてた?みたいな?
大友「ゴルァ!!!(# ゚Д゚)・;'.相良程度の家格でウチと肩を並べる~てかっ!!(怒」
御怒り御尤もですm(__)m

南藤曼綿録によると、宗麟からの猛烈抗議に将軍・足利義輝は アタヽ(´Д`ヽ ミ ノ´Д`)ノフタ
「あぅ~大友の怒りは解るけど、もう手続きしちゃったから今回は我慢してぇ(超意訳)」と言い訳したそうな^^;

実はなんですが、島津氏も「代々、修理大夫」なんです。
おっかしーな~大夫BOX席は一つしかないはずなのに~~,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
官位も島津は従五位下だったりで、どんなカラクリ・・・(._+ )☆\(-.-メ)オイオイ
このあたり戦国期に入ると、家格と官位の釣りあいが訳わかんなくなってます( ̄ω ̄A;アセアセ

んで、島津も義陽の任官にクレームしたって話があるんですが、そのような記録は相良側にはありません^-^

ちなみに九州の戦国大名に人気だった官途が修理大夫
関東の戦国大名に人気だったのが左京大夫(←コレ北条家)とウィキペディアにあったけど理由は不明です^^;

とにかく義陽は、クレームが出たので「義陽」の名乗りまでも使用を遠慮したようです。
でもメゲない義陽は、尊崇する朝廷や幕府にセッセと献金を続けてました。
田舎の貴公子が都に憧れる気分もあるが、それよりも肥後の国人たちへ自分の権威をアピールする意味合いの方が大きかったのではないかと思います。

さて次はシオが大好きな島津薩州家の登場なのだが、それは・またの話 by^-^sio

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