Quantcast
Channel: 九州戦国ブログ~室町末期から江戸初期まで~
Viewing all articles
Browse latest Browse all 910

相良義陽_34【薩州家_島津義虎までの その弐】

$
0
0
http://history.blogmura.com/his_sengoku/ にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代

※本稿に入る前の予備解説なので記事ルール割愛します。
  ザックリ駆け足予備解説につき過去書庫・島津薩州家編参照です。

え~島津の数ある分家の中で、自分が一番好きなのが薩州家です~川* ̄д ̄*川ポッ
既に過去にカテゴリ作ってドップリ記事にしているんですが、好きなんで何度でも書いちゃうです(爆

宗家の地位を巡って争う島津氏の総領五家「総州家奥州家相州家伊作家薩州家
元々の宗家だった総州家は、奥州家に敗れ室町期に滅亡したので、家督を巡る争いは残りの四家となりました。
新たに宗家となった奥州家から赤色文字の三氏が派生します。

赤色文字・三氏のうち宗家と匹敵する実力を保持していたのが薩州家です。
てことで萌えるピンク色文字 川* ̄д ̄*川ポッ 

判りやすく言うと、宗家という器に入っている中身
室町中期~戦国中期まで奥州家
戦国中期~戦国末期以降、伊作家
であるのに対し、宗家と拮抗し争うのは、常に薩州家なのです。

島津宗家が薩摩国守護職であるのに対し、薩州家は薩摩国守護代の家柄。
薩州家の本貫地である出水(鹿児島県出水市)は、鎌倉期に薩摩国守護所があったという、実に由緒ある土地でございます(-人-)☆彡

宿命の家・・・薩州家は、その誕生も特殊でした。
初代である島津用久は、宗家(=奥州家)当主・忠国の長兄だったんです。
兄が宗家当主になることが出来なかったのは生母が側室・・・庶子だったから。

で、、、御家騒動にありがちなんですが、
庶長子である用久の器量は実弟(嫡出子)で当主である忠国を上回ってた( ̄ω ̄A;アセアセ
何せ忠国が手こずった薩摩国人一揆を、用久が鎮圧しちゃったくらいですから( ̄ω ̄A;アセアセ
(そのあいだ忠国(守護職)は処置を兄の用久(守護代)に丸投げして妻実家に退避しちゃってた)

そのため忠国の方が「(功績を立てた)兄貴は宗家の家督を狙ってるに違いない!!」と疑心暗鬼になり、兄と激しく争います。
時に室町将軍は六代目義教なのネー(*´・д・)(・д・`*)ネー
忠国は苛烈なことで「万人恐怖」を言われた足利義教を味方につけることに成功し、兄との争いに勝った(=^・ω・^=)v ブイ

用久は宗家から離れ分家・薩州家初代となります。
兄弟和睦の証として忠国の嫡男・立久に、用久の娘が嫁ぎました^-^

が。。。どうも忠国は終生兄に心を許さず油断できない男と警戒し続けていたようです。
まぁ優れた兄への嫉妬もあるんでしょうな ( ゚Д゚)y─┛~~

忠国は嫡男・立久が成人し孫が生まれても頑として家督を譲らず、死ぬ(1470年)まで現役席にしがみ続けた。
といっても丸っきりの頑固ジジーなわけでなく、嫡男・立久は当主としての実務には携わってたそうです。

が、嫡男・立久が実質当主として活動を始めるのは、忠国の兄にしてライバルであった用久が死んだ年(1459年)からでして、、、、
総州家を破って覇者となった偉大な父・久豊と、庶子でなければ当主の器であっただろう優れた兄・・・家庭の事情が複雑で庶民シオには窺い知れないイロイロあったかと・・・(´・д・`)

という波乱の幕開けだったのに、忠国は更に複雑にしちゃいました。
え~~~言いづらいけどちと家族計画に失敗したんですぅ ( ̄ko ̄)

わずか数カ月の差で庶長子(友久)と嫡男(立久)が生まれちゃったんです( ̄ω ̄A;アセアセ
忠国ってば~自分もソレで苦労したのに、子供たちまで同じ状況にしちゃった!Σ(´Д`;)はぅ
数か月年長の友久、長男でありながら庶子であるがために家督が継げず、
分家して赤色文字の相州家初代となります。

忠国が死ぬまで家督を譲らなかったのも、子供たちのこともあるかもしれませんが、これは忠国本人だけしか判らない胸中の事でしてナントモカントモ・・・(´・д・`)

立久の代で応仁の乱が始まり戦国乱世に突入するわけだが、立久の代は分家と上手く行ってたようで、応仁の乱にも分家と協力して対応してました。

問題は立久の次。

立久が庶子・忠昌を残して43歳という働き盛りで死去 ガ━━━(゚ロ゚;)━━ン!!
更に不味いことに側室だった忠昌の生母は分家とかじゃなくガチ家来筋で、ほんとに身分が低かったらしい。
そのため父である立久も家督相続候補としては想定外で、あらかじめ忠昌を出家させてたんです。

立久死去により忠昌は急きょ還俗~~アタヽ(´Д`ヽ ミ ノ´Д`)ノフタ
庶子で僧侶あがりの若年当主・忠昌クン数え12歳は、
島津一族として自分より遥かに毛並が良い分家の当主たちに、
囲まれる事になったのだが、それは・またの話 by^-^sio

Viewing all articles
Browse latest Browse all 910

Trending Articles