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※本稿に入る前の予備解説なので記事ルール割愛します。
ザックリ駆け足予備解説につきブログ内カテゴリ・島津薩州氏編全18話参照です。
薩州家を抑えるだけの器量がない宗家・忠勝は、
困って伊作の島津忠良に国政を委ねた。(大永6年)
状況は違うけど、肥前の龍造寺政家が準一門である鍋島直茂に国政を委ねたのと似てます^^b
鍋島直茂と島津忠良の違いは忠良自身が表に出ないで、
嫡男の貴久を宗家当主・忠兼の養子にしたことです。
ここは相良の上村頼興が協力するかわりに、我が子・晴広を当主の養子にしたのと似てます^^b
例に挙げた二つの家の対応をMIXして実行した忠良は、とても賢い人物だと思いませんか?(^ -)---☆Wink
宗家・忠兼は伊作に隠居することになり、正室だった薩州家の姫君を離縁し、実久と義兄弟の関係を解消しています。
離縁され出戻った姫様の、その後は判りません。
が、姉の不縁に激怒した実久は、忠兼の後ろ盾となった伊作・島津忠良とガチンコに突入!
ちなみに同じく実家が薩州家の御東は義弟で甥を非難し、迷うことなく夫である伊作・忠良につき従ったそうです。
始めは伊作に有利だった状況が激変するのは翌年、大永7(1527)年のこと。
なんと、こともあろうに伊作に泣きついて国政を委ねた、とうの島津忠兼が薩州家・実久に寝返ったんです。 ガ━━━(゚ロ゚;)━━ン!!
薩州家・実久は、うまく伊作・島津日新斎を戦場へ誘い出し、伊作にいる忠兼の説得工作した。
その誘い文句が「守護職に復帰しませんか?^-^」みたいな事だったらしい。
*****IFバナの小部屋*********************************************
ちょっと思うのが、この1527年の段階で実久は、まだ数え16。
前回もIFバナしたが、やはりこれだけの事を実久少年一人で実行できたとは考えづらいのよネー(*´・д・)(・д・`*)ネー
いかに薩州家が守護代の家柄であっても、慣例を飛び越えて10代の少年を守護職という権威ある地位に据えるのは難しい。
忠兼を守護職に復帰させたのは、実久の祖父で義父の重久なんじゃないだろうか?(-ω-;)ウーン
武家の子弟が家督を継ぐのは、トラブルなければ二十歳前後が慣例なんです。
だから実久が守護職を継いでも不自然じゃない年齢になるまで、いわば「繋ぎ」として忠兼を復活させたんじゃないかな?
実際、島津貴久(=忠良の嫡男)が正式に三州守護になるまで、守護職は宙ぶらりん~だったようなんです。
いっぽう、日新斎(=忠良)の嫡男・貴久も未だ数え14。
薩州家の対抗馬として忠兼も養子にはしたけれど、コッチも守護職になるのは若すぎ^^;
でもって、忠兼自身も若い。還俗さえすれば、この先男子に恵まれる可能性は十分あるんです。
忠兼が「その気」になるのは、無理ないよな~と思ったりする^^;
******IFバナ終わり*******************************************
この時、忠兼は数え25歳の若さで、目先にブラ下がったニンジンを見たとたん、過去に困ったり頼ったりした記憶が吹き飛び、食いついた。
隠居して出家&隠棲してた島津忠兼は、アッサリ還俗~勝久と諱を改め守護職に復帰。
勝久の行動が「伊作家と薩州家の争いを更に激化させた」ことは、言うまでもないだろう。
そして隠居したり復帰したりと迷走する宗家当主に、国内騒乱となるのだが、それは・またの話~by^-^sio