島津側二次史料「本藩人物誌」~~監修さまより提供(-人-)☆彡感謝!
●島津出羽守忠明 子孫・大島休左衛門
久豊四男出羽守有久、庄内梅北ニ被召置、長禄三年七月三日於、日州三俣院小山戦死、其子出羽守忠福 忠国公御聟、
文明十六年十二月二十二日於、日州逆谷ヶ鎌倉戦死、其子忠明也
○明応八年 忠昌公忠明ヲ大口城ニ被召移、大口一所三百五十町拝領
享禄三年七月二十七日大口城中ニ戦死其後、貴久公九州御出陣ノ時為御頼(本ノ儘)忠明ヲ大口西ノ原江、八幡ト御祟被成候
●島津次郎四郎明久 忠明子
享禄二年九月三日羽月ノ大島村ニテ戦死、明久事西ノ原若宮ト御祟父同様ニ被召置候処奇瑞有之
龍伯公ヨリ大口地頭新納忠元ヘ被仰付戦死ノ場所大島村ヘ御建立被遊候
●島津出羽守忠泰 明久養子ーー明久養子、後ニ大島休左衛門
大正期発刊三次資料「北伊佐史」について考察
①北伊佐郡(大口村・山野村・羽月村)
②上記「三村の出来事」で「特筆したい事だけチョイス」し、データの取捨選択をしている模様。
③編者は水天神社(鹿児島県伊佐市菱刈下手1887)の社掌。
④先に「菱刈史」を執筆し、次に「北伊佐史」を執筆。
ということで大正期ながら編者は菱刈氏御膝元の在野郷土史家でした~
(*ノ・ω・)ノオオオオォォォォ
現地の城跡、戦場跡、墓地、墓石、系譜が続いてる家臣(大正期当時の家臣末裔当主)などを直接取材してます。
(大正期のアレコレ史蹟・保存状態に期待 川* ̄д ̄*川ポッ )
地域限定データである「北伊佐史」と、
おそらく通史と思われる「菱刈史」と、
島津側(本藩人物誌)と
相良側(八代日記・球磨郡誌)
の、記述の違いを調べるんで、
ちと地元図書館にてデータの波に溺れてまいります(`・ω・´)キリッ~~~~~~~
(デジタルライブラリに閲覧制限かかってて、図書館でないと見れない)
あぁっ!本業(肥前史)じゃない、趣味の方なのにぃ~~~~~~~
気になると調べずにいられない、研究者気質が起動しちゃいました,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
データのボリュームによっては、数日は溺れっぱなしになりますので、更新をお休みします^^/
訪問はできると思いますので、宜しくお願いしますm(__)m