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Channel: 九州戦国ブログ~室町末期から江戸初期まで~
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【ふぉ~えばぁ~少弐・中篇】龍造寺隆信「覇」の巻28

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明けて1559年(永禄2年)
1月上旬、隆信は再び勢福寺城を取り囲む。
昨年の和議は偽りであった。(緑文字「北肥戦誌」より抜粋)
某氏とは~肥前の熊さんで~す。^^/ みんな正解したかな?
東肥前は敵も味方も2年連続で正月返上ですな ( ゚Д゚)y─┛~~

龍造寺と少弐の確執に詳しい方は、ここ「川上社」へ起請文を納めた事に、( ゚д゚)ンマッ!!と感じたでしょうか?
かつてあった、少弐冬尚と亡き熱血暴走家臣・馬場頼周による龍造寺(主に剛忠(家兼)係累)抹殺の陰謀。

その陰謀により龍造寺隆信の祖父・家純と祖父弟・家門更に叔父・純家が、ここ川上社で殺されているんです

陰謀により龍造寺一族は、バラバラの方角に別れ、個々に討たれてしまいました。
で、川上社で夜営した祖父と叔父一行30余名が、馬場頼周嫡男と神代勝利勢の夜襲を受けました。

えっと神域で夜営していいのか?って疑問は、とりあえず保留で^^;

肥前国一の宮・川上社は、当然のことながら軍事介入不可で、ましてや神域で殺生・傷害など言語道断!

保護していた肥前千葉氏(川上社大宮司)が衰退した為、川上社は往年の威光を失い「馬場+神代勢」を追い払うだけの力は無かったのでしょう。
社人もいたはずですが、実相院の方に避難してたかもです( ̄ω ̄A;アセアセ

襲う方だって神域を穢す事に内心では躊躇う者もいたはずです。
神代の山内勢は、こういうの嫌がりそうなイメージだなぁ~

でも「少弐氏御家再興」が全てにおける価値観の源泉である馬場頼周ならば、神域だろうが寺領だろうが殺る男です


http://blog-imgs-49.fc2.com/s/i/o/siori20120901/img_360567_4549205_2.jpg 馬場暗黒面イメージ画像

多勢に無勢に取り囲まれて、家純と家門と隆信祖父兄弟は戦死し、従者たちも殆ど討たれた。
叔父・純家は川上社の拝殿に駆け入ると己の指を切り、その血で社殿の扉に書きつけた。

山遠雲埋行客跡(山は遠くして雲は行客の跡を埋め)
松寒風破旅人夢(松は寒くして風は旅人の夢を破る)

叔父さまは詩心と教養があったみたいです。その後、純家は敵中に斬り込んで戦死。
龍造寺勢の遺体撤収と社殿・境内の血は、少弐家の方で処理したそうですが、龍造寺勢が少数ながら激しく抵抗した為に社殿が破壊?破損しちゃったそうです( ̄ω ̄A;アセアセ

実の所、一門個々の死にざまというか死に場所?には諸説あるらしいんです。
ですが、その殺害現場の一つが、この川上社だったのは本当だったみたい。

思うに、龍造寺隆信は一門が謀殺された場所だからこそ、和睦の舞台に選んだんじゃないでしょうか?

当然ながら後日、反故o( ̄Д ̄θ★ケリッ!にするつもりで、川上社を選んだ。

ドライな部分と迷信が混在している時代、「起請文を反故にする事」に対し、内心ではビビる者っているんです。
でも初めに禁忌を侵したのが少弐の方なのだから、その報復は正義のはずです。
と、言う感じで気持ちを持って行くことで、ビビる者たちも割り切れます。

隆信:やられたらやり返す。10倍返し上等!(`・ω・´)キリッ

ちなみに元天台宗僧侶だった隆信が個人的に帰依してたのは、曹洞宗。
和睦仲介した蓮乗院住持・増純は真言宗(ちなみに実相院も真言宗)で、宗旨的にトラブル心配無し。

http://blog-imgs-50.fc2.com/s/i/o/siori20120901/img_360567_4549205_1.jpg 隆信イメージ画像

起請文を反故って、龍造寺隆信が元僧侶だから出来たのかな~とも感じます。

僧侶という特殊な閉鎖社会で宗教界の裏も表も見てきた隆信は、宗教というものを政治的に利用するノウハウが肌身に沁みついているんじゃないでしょうか。
個人的な宗教心と武家一門総領として統治の為に利用する宗教・宗派というものを、スイッチのON・OFFのように使い分け出来る・・・ある意味で怖い危険なタイプ。
宗教にのめり込む大友宗麟とは対照的。
そういう点で、織田信長と龍造寺隆信は共通する感じがします。

陰謀を仕掛けた者と仕掛けられた者、殺人教唆犯と実行犯と被害者遺族。
殺害現場の大宮司家と、それらに所縁を持つ仲介した僧。

ドロドロの因縁・宿縁を持つ者同士が、血塗られ穢された神域で和睦する・・・

この恐ろしくも因縁めいた川上社に起請文が納められた事で、逆に少弐冬尚は完全に油断してしまったんです


和睦仲介の僧・増純・・・己が政治的に利用された事を、彼が最初から知っていたかは不明です。
当時は気づかなくとも、自分が必至で再興造営運動してる川上社に納めた起請文が、アッサリ反故&蔑ろにされた瞬間に、頓悟したに違いありません。

良くも悪しくも「為政者とは、宗教を利用する立場」にある者なのだ。
江戸期に隆盛した実相院・・・・その再建に尽力した増純は、この時の苦い思いを糧にしたのではないでしょうか。
川上社は一の宮として大事にしつつ、元々座主を兼務していた実相院の方に主眼を置いたのは、このあたりにあるような気がします。

城を龍造寺勢に取り囲まれた少弐冬尚・・・それは・またの話 by^-^sio

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