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記事ストックが切れたのと、筑後史も調べてるので訪問が遅れてますm(__)m
日本最大の氏族が千葉氏なら、九州最大の氏族が大蔵氏。
九州の関ヶ原を調べる為に九州戦国史に足を踏み入れた自分が、どっぷり九州郷土史にハマった契機になったのが「大蔵系氏族」でした。
だからブログ初期の頃の初代藩主編シリーズは、クロカン絡みと大蔵系氏族絡みなんです^^;
大蔵系氏族を調べてるうちに、戦国末期に彼らと縁戚関係になった肥後相良氏に魅了され、本業である肥前史とは別に肥後相良氏を紹介するのをライフワークにしております。
ということで、大蔵系氏族の一つである筑後田尻氏は、肥前史の補完データと言う意味合いもあり、前々から調べたい武家リストに入ってました。
ちなみに千葉氏系武家は通字に胤の文字があることで知られていますが、
大蔵系武家は通字に種の文字があるのが特徴です^-^
で、自分で調べるべく田尻家文書にチャレンジ中なんですが、どうも大蔵系氏族は自分の萌えキュンキュンが先行してしまい、冷静な状態になれないので「柳川の歴史2_蒲池氏と田尻氏(編集:柳川市史編集委員会)」の、お力を借りしたいと思います(*´pq`)
※参照部分は蒲池氏同様、緑文字です
田尻氏の歴史が本格的に研究されるようになったのは比較的新しく昭和に入ってからのこと。
昭和38年に「佐賀県史料集成 七巻」として「田尻家文書」が翻刻公判されたこが契機でした。
それまでは二次史料である江戸期編纂史料しかなかったんです。
出版により田尻氏のみならず、筑後史研究が飛躍的に進み、ひいては九州戦国史の研究が一段と進んだのです。
なぜなら筑後という土地は、地理的に肥前や肥後の勢力が介入する土地でして、必然的に筑後の動静が九州政治史に大きな関わりを持つからです。
個人的には、典型的な事例になるのが「勢場ヶ原の戦い」だと思ってます。
まぁそれは自分の研究が追い付いてないので、いまは先ず田尻家の出自から__φ(.. ) メモメモ
田尻氏は福岡県南部にある「みやま市高田町田尻」を、その名字の地とする家です。
冒頭にあげたように先祖は大蔵氏。
大蔵春実より数えて八代目の孫にあたる種成に男子がおりました。
長男種直を祖とするのが原田氏 '`ァ'`ァ'`ァ(;´Д`)'`ァ'`ァ'`
次男種雄を祖とするのが秋月氏 '`ァ'`ァ'`ァ(;´Д`)'`ァ'`ァ'`
三男実種を祖とするのが田尻氏 '`ァ'`ァ'`ァ(;´Д`)'`ァ'`ァ'`
(※4男が江上氏祖で5男が高橋氏祖)
大蔵氏は大宰府長官でして最盛期(古代末期)の所領は、筑前・筑後・豊前・肥前・薩摩など広範囲に及んでました。
平安末期には原田氏祖である種直が大宰少弐で、近年の大河「平清盛」に一回だけ登場してます 川* ̄д ̄*川ポッ
(清盛は大宰大弐だったので原田氏からみて上司なのだ)
既に萌えすぎて興奮で鼻血が出そうです( ̄ω ̄A;アセアセ
田尻氏の先祖が、なぜ筑後国三池郡(当時は三毛郡)と関係を持つようになったのか、また何時頃からなのかは判っていません。
田尻氏が史料で確認できるのは、田尻家文書の第一号である「関東下知状(弘安9・1286)」からです。
蒙古襲来絡みです( ̄ko ̄)
が、鎌倉期の田尻氏の活動は「弘安の役」の参加以外は史料がないため、土着から鎌倉期までの実像は謎のベールに包まれております。
ふっ・・・(*´ー`)トオイメ
自分が調べたい武家は、どこもかしこも謎のベールやケープや羽衣だらけですな( ゚Д゚)y─┛~~
てことで、いきなり南北朝まで飛ぶのだが、それは・またの話 by^-^sio