今、読んでる「秀吉研究の最前線」が、ちょうど宗教関係の項なので色々と脳内知識・和箪笥が刺激されてます。
フロイスの日本史は読むの挫折してます,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
中世史を専攻してる今は、地理の変遷と郷土史を絡める地政学っぽい方向性。
で、中世史(もち九州さ!)の前は宗教史にハマってた^^;
正確に言うと宗教と政治の関わり合いって感じ。
宗教史の中では、特に法華宗に注目してた。
日本の仏教の中では、珍しく原理主義で教義に厳格な宗教だからです。
教義は非信者には非公開!(`・ω・´)キリッ
しったかぶりな浅い知識で教義を論ずることは謗法(ほうぼう)(`・ω・´)キリッ
※謗法(ほうぼう)---誹謗正法(ひぼうしょうぼう)の略で、仏法に背く事(『法華文句記』巻6)
ちなみに誹謗を侵すと成仏できない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ドキドキ(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル
小心者なので昨日のディープ記事は非公開にしよう・・・( ̄ω ̄A;)←ヘタレです(爆
話は飛ぶが、自分は神道は宗教の括りとは違うと思ってる。
てか、そんな型にはめるようなカテゴリに入れたくない・・・個人的な感情と言うか気持ち問題がチト混ざってる^^;
そもそも祖霊を祀ることは、習俗だと思う。
※習俗(しゅうぞく)---ある時代・社会のならわし。習慣や風俗。
民族・氏族・血族全てのルーツであり原点で、祀る空間(磐や社とかとか)そのものが神霊であり言霊である。
自然への畏敬・畏怖で悦び祝うもの。本来とてもとても純粋でピュアなものなの・・・。(人´∀`).☆.。.:*・
神名そのものが真名だから、濫りに口にしたりするのは(・A・)イクナイ!!
(※但し、お仕えする人々や研究や勉強の為に真摯に取り組む分には(・∀・)イイ!・・・はず^^;)
古来より日本では、祭祀を祀る事と政(まつりごと)は一つのものだった。
祭祀を祀る社を造り外護することが、権力者の証でありステータスだったんです。
九州探題・今川了俊が川上社の国衙(こくが=公領)に目をつけたのは、日本古来からの習俗に倣ったもの。
川上社の国衙に租税を納めさせることで、自分が上位者であることをアピールしたんです^^b
てことで、
日本の政治史を理解するには【祭祀を祀る事=政(まつりごと)】からスタートしているという予備知識が重要なポイントになる。
これが判ってないと、各時代・各権力者の宗教政策が単なる年表的な経緯を理解するのみで止まってしまいます。
学校で習うように、仏教は神道よりあとから渡来したもので、日本の習俗と見事に融合し日本独自の宗教となった。
元々の渡来系仏教は哲学的要素が強く難解で、それが日本で土着する際に判りやすくマイルドになったとも言える。
これが歴史的に言うところの【神仏習合】。
神社には付随する寺院(別当寺)があり、神社TOPと別当寺TOPの役職は兼務でした。
肥前で言うと川上社と別当寺である実相院の宗主は兼務だったんです^-^
ここで大事なことは、神仏(しんぶつ)と表現するように、神が先で仏が後だってことです。
カードでいうなら表が神で裏が仏です。
この神が先で仏が後だった神仏習合を
徳川家康&江戸幕府が、仏が先で神が後の神仏習合にひっくり返している
・・・というのがシオ考察なんですわ。
あぁ~~やっぱ古代から現代までだと長いっす~②に続く(`・ω・´)キリッ