いわゆる一つの「文化の日」SP連載ですな ( ゚Д゚)y─┛~~
社寺領土知令は1871年(明治4年)と1875年(明治8年)の2回出された。
繰り返すが、この上知令は明治政府がビンボーだったせいで、仏教弾圧の意図はない。
というのも没収された御朱印地には神社領も含んでいるから。
が、廃仏毀釈運動でガタガタになってた仏教界が受けたダメージの方が、神社より大きかったのではないだろうか。
そんな中で僧侶の妻帯OKが出る。
高僧だろうが学識豊かだろうが名僧だろうが、神社に奉仕していた僧侶は神仏分離令で強制還俗。
寺院に残った僧侶も寺領没収で、たちまち生活困窮者となった。
妻帯した僧侶は、望んで破戒僧になったわけでない。一部の堕落僧を除くと生活していくために妻帯したのだ。
仏教界でも「(僧侶の妻帯は)時の流れに身を任せ~~(´;ω;`)ウッ」という対応をするしかなかった。
明治初期における波乱万丈の中で、全ての生活困窮寺院を救うだけの余裕がある金満宗派など、あろうはずがない。
ここからは完全に想像なんですけどね・・・( ̄ko ̄)
上知令が2回だけで済んだのって、やっぱ外聞が悪いとかクレームがあったんじゃないかと想像してるわけです。
だってさ。領地没収される寺社の中には、やんごとなき宮家から門跡が出る古刹もあるんだよ。
※門跡(もんせき、もんぜき)---皇族・貴族が住職を務める特定の寺院、あるいはその住職のことである。寺格の一つ。
寺領没収による困窮寺院では、墓地の手入れもできかねるわけで・・・・・
維新政府に仕える高官本人の田舎のパパンママンの墓とか、旧藩時代の御主君の先祖伝来の墓地も荒れちゃうじゃん?
保護してた幕府や藩がなくなった上に経済的に締め上げくらえば、あっという間に荒れ放題でしょ。
各宗派・各寺院が過去の人脈フル稼働で頑張ったんじゃないかな~~と想像してるわけです。
ここから先は、殆ど調べてないんで自分も国家神道というのが、何だったのか判ってない。
ぶっちゃけ、延喜式やら江戸期以前の社格と明治以降の社格がゴチャ混ぜで、シオレベルじゃ何が何だかヽ(。▽゜)ノ アヒャヒャ~~?
とにかく戦後、GHQによって国家神道は解体され、祭政は分離された。
と、同時に日本古来の習俗も「信教の自由」の名の元に、伝承が途切れようとしている。
いままさに日本の宗教史は、フォースインパクトの真っ最中なのだ。
文字通り神も仏もない混沌の時代の果てに、日本人という民族が行く就く先が何処になるのか、いま現代を生きている我々には見当もつかない。
日本の歴史を愛する者として、願わくば日本古来の習俗や伝統は残して欲しいと思わずにいられない。
民族の伝統習俗というのは、その民族の活力を生み出す原点であり、宗教・宗派というカテゴリを超越したものなのだから。
長文連載に御付き合い下さりありがとうございます。
まだまだ不勉強ですが、今現在の自分の知識で出来る範囲の考察ですので、不完全な点は御容赦下さいm(__)m