本日は物語風に^^
出典は北肥戦誌です^-^
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一門でありながら少弐から大内に寝返った筑紫満門。
同じく少弐一門で、筑紫の娘婿である馬場頼周は筑紫満門を謀殺してします。
それは我が子の病気を理由に妻(=筑紫の娘)に文を書かせ、誘き出して多勢で殺すという酷い方法だった。
(黒い馬場頼周:監修様作画)
夫に父と兄弟を目の前で殺された馬場の妻の嘆きは計り知れず、後に夫へ暇を乞い髪を剃って仏門に入ってしまいました。ショボーン..._φ(・ω・` )
同行してた筑紫家臣の生き残りは、大急ぎで勝尾城へご注進~アタヽ(´Д`ヽ ミ ノ´Д`)ノフタ
筑紫家臣らはリベンジのために綾部城へと向かったが、もとより準備万端の馬場にo( ̄Д ̄θ★ケリッ!一蹴されてしまう。
馬場が喜びすぎたせいだろうか・・・筑紫満門は死して怨霊となってしまったそうです( ̄ko ̄)
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現代(北肥戦誌が書かれた江戸時代)でも、月が曇り雨暗き夜は綾部城の旧跡に叫喚の声が聞こえ、人心を悩ませている。
或る時、ここの領民が草を刈りそれを馬に積んで乗馬していた際、満門の墓の辺りを通ると、忽ち逆さに落ちて悶絶した。
近くの者は驚き、山伏を呼んで祈祷させると、「我は筑満門という者なり」 と口走り始めた。
更に「昔ここで命を失い、多くの年月が過ぎたと雖も魂は尚も留まりて、折しも今朝卯の刻より猿楽を興行し自らも舞い遊んでいたところ、下々ながら馬に乗り、舞台の前を通るなど奇怪の至りである。だがこれを許し命は助けよう」 と発した。
領民は汗水流して寝入るかと見えていたが、また息をしだした。
200余年の星霜は送ると雖も、その魂は尚も青苔に残る事、不思議な次第である・・・
と北肥戦誌は結んでいる。
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馬場の忠義には私心はないであろう。
だが、裏切り者を決して許さず、相手を滅ぼすために謀を巡らすのが、果たして少弐のためになったのだろうか?
相手にも言い分がある以上、馬場の行動は恨みしか残さない。
相手が返す復讐の刃は、馬場の何より大切な少弐に降りかかるのだが、それは・またの話 by^-^sio