舅である大村純忠と同じくして受洗し(1562年)キリシタンとなった長崎純景。
5年後に宣教師が純景の館(桜馬場城)の近くに布教所を建て、布教と医療を行った。
その更に2年後には、夫婦川町の丘の仏寺を改造し、長崎初の教会が建設されている。
5年後に宣教師が純景の館(桜馬場城)の近くに布教所を建て、布教と医療を行った。
その更に2年後には、夫婦川町の丘の仏寺を改造し、長崎初の教会が建設されている。
一見、長崎氏は熱心に信仰の普及に尽力したかのように見える。
が、この期間というのは、貿易港・横瀬浦(西海市)を武雄・後藤勢に焼き払われてしまったポルトガル貿易船が、良港を求めて転々と寄港先を変えていた期間なんです。
が、この期間というのは、貿易港・横瀬浦(西海市)を武雄・後藤勢に焼き払われてしまったポルトガル貿易船が、良港を求めて転々と寄港先を変えていた期間なんです。
だから長崎氏の布教保護活動が、純然たる信仰心からの発露か、ポルトガル貿易船招致活動の一環なのか、なんとも微妙で判断しかねる^^;
在地国人領主である長崎純景にしてみれば、勢力のある大村氏に追従でざるを得なかったかもしれない。
とはいえキリシタンを嫌ってはいなかったし、そこそこ信仰心もあっただろう。
でなければ領内の、しかも自分の目と鼻の先に布教所を認可したりはしないはずだ。
在地国人領主である長崎純景にしてみれば、勢力のある大村氏に追従でざるを得なかったかもしれない。
とはいえキリシタンを嫌ってはいなかったし、そこそこ信仰心もあっただろう。
でなければ領内の、しかも自分の目と鼻の先に布教所を認可したりはしないはずだ。
長崎純景が宣教師を保護したのが効いたのか?
1570年(サイトによっては1571年)長崎がポルトガル貿易船の寄港地に決定
新たに町割りが行われ、島原・大村・文知・外浦・平戸・横瀬浦町の六ヵ町が成立した
これが貿易港・長崎の始まりで、江戸期には26町にまで拡張されます。ところが領地を提供した長崎純景は交易の利権の恩恵に預かる事が出来なかったそうなんです( ゚д゚)ンマッ!!
この初期長崎6ヶ町が何処に帰属してるのか、ちょっと自分の知識不足で上手く検索する事が出来なかったです^^;大村純忠が、初期の段階で何処まで関わってたのかも、ちょっと(全然・爆)判りません。
ほとんどのサイトが、後年の記録と混ざって大雑把に記述されてるので、細かい推移を素人が辿るのは限界があるようです。
どうも堺のような自由交易都市&外国人居留地みたいな感じで、長崎氏は領内に治外法権地が出来たような塩梅。
6ヶ町衆(メンバーも判りませんでした)は、自前で防備のための武力も保持してたようです。
6ヶ町衆(メンバーも判りませんでした)は、自前で防備のための武力も保持してたようです。
更に長崎純景にとって面白くなかったのが、6ヶ町の場所です。
そこは長崎純景の桜馬場城下ではなくて、岬の突端に位置していました。
これは無理ないことなんです。
そこは長崎純景の桜馬場城下ではなくて、岬の突端に位置していました。
これは無理ないことなんです。
だって長崎純景の桜馬場城は、海岸から1kmちょっと内陸なんですもの( ̄ω ̄A;アセアセ
はるばる外国から来る貿易船にしてみれば、岬の方が地形的に目印となるし、滞在する場所は海の近くの方が便利だからして~~( ̄ω ̄A;アセアセ
はるばる外国から来る貿易船にしてみれば、岬の方が地形的に目印となるし、滞在する場所は海の近くの方が便利だからして~~( ̄ω ̄A;アセアセ
たかが1km、されど1km。
開発から取り残された村落が過疎るのは、平成も戦国も変わりません。
交易によって、どんどん賑わう6ヶ町に引き替え、土地を提供した側の長崎純景の城下が寂びれるなんてアンビリバボー。
そのため6ヶ町衆と長崎純景は、時に武力衝突を起こすほど不仲だったそうです。
開発から取り残された村落が過疎るのは、平成も戦国も変わりません。
交易によって、どんどん賑わう6ヶ町に引き替え、土地を提供した側の長崎純景の城下が寂びれるなんてアンビリバボー。
そのため6ヶ町衆と長崎純景は、時に武力衝突を起こすほど不仲だったそうです。
大村純忠が、6ヶ町衆と長崎純景の不仲を、どう思っていたかは判りません。
大村は、それよりも違う事に悩まされていたからです。
大村は、それよりも違う事に悩まされていたからです。
大村純忠イメージ画像
ここに西郷(兄)と深堀(弟)の兄弟がいました。
ちなみに薩摩の西郷隆盛は、この西郷(兄)から派生した一族です^-^
ちなみに薩摩の西郷隆盛は、この西郷(兄)から派生した一族です^-^
この兄弟も有馬氏勢力拡大と共に縁戚になり、有馬を実家に持つ大村純忠とも縁戚関係なんですが、細かい系譜は追々紹介します。
(自分が未だ覚えきれてない,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!)
(自分が未だ覚えきれてない,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!)
西郷・深堀兄弟は、大村純忠が南蛮交易によって勢力拡大するのを危惧していました。
いえ、それ以前に彼等兄弟は熱心な仏教徒でして、キリシタンが大っ~~~嫌いだったんです。
深堀に至っては、嫌がらせと実利を兼ねて、やって来る南蛮船に対して海賊行為を行ってたほどです。
いえ、それ以前に彼等兄弟は熱心な仏教徒でして、キリシタンが大っ~~~嫌いだったんです。
深堀に至っては、嫌がらせと実利を兼ねて、やって来る南蛮船に対して海賊行為を行ってたほどです。
西郷・深堀兄弟チームは、たびたび長崎を襲撃しています。
6ヶ町衆とは不仲だった長崎純景でしたが、「貿易港・長崎」が襲われれば、ガチで巻き添え食らう位置にいました。
共通の敵(西郷・深堀兄弟チーム)に対抗すべく、
大村純忠・長崎純景の舅婿チームが結成?され、両勢力は激しく戦った。
6ヶ町衆とは不仲だった長崎純景でしたが、「貿易港・長崎」が襲われれば、ガチで巻き添え食らう位置にいました。
共通の敵(西郷・深堀兄弟チーム)に対抗すべく、
大村純忠・長崎純景の舅婿チームが結成?され、両勢力は激しく戦った。
長崎氏に現在も地名が残っている「勝山町」は、大村・長崎の舅婿チームが激戦の末、西郷・深堀兄弟チームを撃退した事から由来しています^-^
西郷・深堀だけでなく、これに勢力拡大してきた龍造寺隆信という難敵が追加。
龍造寺に抗しがたいと悩んだ大村純忠は、宣教師&キリシタンたちを守る為に一つの決断をしました。
龍造寺に抗しがたいと悩んだ大村純忠は、宣教師&キリシタンたちを守る為に一つの決断をしました。
この大村の決断が、後に娘婿である長崎純景を没落させるのだが、