https://history.blogmura.com/his_sengoku/ にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代
天草国人一揆では小西(キリシタン)と清正(法華信者)の間に「宗教的対立」があった・・・という話を度々耳にする。
管理人は逆に「天草一揆まで」は「清正はキリシタンを好きでも嫌いでもなかった」と考えている。
なぜなら加藤清正が「こよなく信頼・尊崇」する「黒田官兵衛がキリシタンだから」だ。
幸麿さん作画:黒田如水イメージ画像
過酷な牢生活は、単なる智者(時には智慧自慢)だったクロカンの保身感覚を研ぎ澄ませた。
故に黒田官兵衛は「デウスを語る」「時」と「相手」と「場所」と「内容」を選んだだろう。
従って「熱心な法華信者の清正」であるに対し「礼拝に誘ったり」「受洗を薦めたり」「問われもしないのにデウスを語ったり」などしなかったと思う。
心から信頼していれば、相手の宗教が何であろうと関心はない。
(※自分に勧めたりしないのが大前提)
清正:ワシは肌に合わぬが、知恵者の官兵衛殿が熱心ならば、悪いものではなかろう←くらいの認識。
だから「清正が天草の国人たちに果断」であったのは「彼らがキリシタンだったからでは無い」と思う。
清正が即断即決で攻撃したのは「何よりも一揆の飛び火が怖い」佐々の二の舞は真っ平御免。
(加藤の元には旧佐々家臣がいる)
そして「天草が清正領ではない」ということだ。
一揆を殲滅しても清正自身は困らない。
志岐城下や天草の田畑が兵火に焼かれても、清正への租税が滞ったりはしないのだ。
(今後の人間関係が気まずくなるのは、同じキリシタンの小西だけ~^^;)
肥後着任早々で一揆を鎮圧すれば、清正の武勇を満天下に鼓舞できる「関白殿下に褒められるのね( ̄∀ ̄*)ポワ~ン」
人間とは「感情の動物だ」
冒頭とは矛盾するが「嫌いな奴が信じていれば」「その宗教も嫌いになる」
清正が「ガチでキリシタン嫌い(てか憎悪に近い)になった」のは「天草国人一揆以降」ではないだろうか。
ネタバレになるが一揆鎮圧後、天草は正式に小西行長領になった。
小西は「今までの殿様を失い」「不安に陥ってる領民」の「慰撫に務めた」のだろう。
アフターケアの結果~小西領になった天草で「キリシタンの受洗者急増↑」その数、一気に3500名(* ̄・ ̄*)Vブイ゙・小西「ガンバリマシタ」~
清正「ぶべっ!?Σ( ̄  ̄ノ)ノ 彼奴らめ、増えおったぁ~~~キモッ!」
一定数のキリシタンが一揆に加担したのは「天草国人一揆」が最初だ。
急増するキリシタンは、清正の眼には「一揆予備軍」と映ったのではないだろうか。
一揆では天草国人にコテンパンだった小西兵だが「朝鮮の役」では小西水軍が大活躍。
その水軍というのが「旧天草国人」だったんです。
(関ヶ原でも加藤水軍は小西水軍に敗れている)
黒田親子は禁教令で表向き(と睨んでる)キリシタンを棄教している。
それだけに小西憎しがキリシタン憎悪に繋がったのでは・・・と考えてました^^
清正自身が援軍として着陣したのを聞いた天草種元は、籠城する志岐城へ天草主水と木山弾正を援軍として派兵した。
11月初旬~天草主水・木山弾正は話合いの上で志岐麟泉(しき りんせん)へ
「明朝一斉に切って出て、三方より押し包んで加藤・小西を討ち取るべし」と伝える。
だが、志岐城内の者の中に小西との和平を望む者もおり、軍議が纏まらない。
麟泉「(悩)(;-_-;) ウーム(黙然)」
天草主水~(#゚Д゚)y-~~イライラ~「(怒)ならば我らは本渡(天草の主城)へ帰城する!」
と言い捨て、その翌日に陣を引き払った。
天草主水~結論出すの早っ!、(*;^-^)ゞ マイッタネコリャ、
一方の木山弾正は(勝負を極めなければ二度と本渡へは帰らない)と誓っていた為、敢えて引かず陣所へ留まった。
清正は小西行長へ遣いを出し、
「木山は我らと一戦交える心算(つもり)に見える。(* ̄ー ̄*)ニヤリ。
我らは明朝彼らの陣を切り崩す。御辺は志岐城を堅固に囲んで戦の動向を見られよ!」
{{清正から小西への痛烈な皮肉です「悠長に和睦交渉なぞするタワケは、指を咥えて眺めていろ」ということだ}}
と伝えると、夜のうちに木山の陣の上へ旗指物を隠しながら登ると、その夜は静まり返って合図を待った。
11月5日の黎明~加藤善右衛門の一番備え3,000が敵陣と谷を隔てて合図を待っていた。
すると善右衛門の家臣・伊東次右衛門という者がただ一人、槍を掲げて抜け駆けすべく進み出る。|゚Д゚)))コソーリ!!!!
だが清正は見ていた(#゚Д゚)ゴルァ!! 「誰だ、勝手に槍を振るうのは! あやつを止めよ!」
11月5日の黎明~加藤善右衛門の一番備え3,000が敵陣と谷を隔てて合図を待っていた。
すると善右衛門の家臣・伊東次右衛門という者がただ一人、槍を掲げて抜け駆けすべく進み出る。|゚Д゚)))コソーリ!!!!
だが清正は見ていた(#゚Д゚)ゴルァ!! 「誰だ、勝手に槍を振るうのは! あやつを止めよ!」
と使者を出して留めたが、伊東次右衛門は既に山の6,7分を登っており、
(木山方に気付かれ)「あっ」という間に徒歩立ちの者3名が、刀を抜いて伊東に切り掛かった。
伊東次右衛門~初めは槍で支えていたが、更に20~30人の敵が現れ取り囲まれ、あえなく討死。
(抜け駆けは成功すると一番槍の功名だが、敵にフルボッコ戦死のリスクと背中合わせ)
善右衛門先手3000が(味方が討たれたのを見て)これに堪え切れず(軍令を無視して)進み出た!
木山勢は勝ちに乗じて、坂落としに襲い来る。
先手3000は軍令に背いての進軍である為(善右衛門隊だけが突出したため陣容のバランスが崩れた)坂の途中で突き立てられてしまい、あろうことか清正の旗本勢へ崩れかかる。
清正は床几に座してこれを見ると歯噛みして(あいつらアホか!)「どこまで逃げる心算か。返せ返せ!」ヽ(`Д´#)ノ ムキー!!
と下知したが、(いったん崩れた陣をしかも戦闘中に立て直すのは容易ではない)
ことごとく討ち負け左右の谷へ落とされた。
だが、さすが清正の旗本勢は退かない。
彼らが馬印を立てたまま留まっていた所へ、木山勢20人ほどが一群を為して襲ってくる。
これに清正自ら槍を掴んで、敵二人を討ち取ると、(; ̄ ヘ ̄)=3 フン! 再び床几へ座った。
清正旗本衆もこれらを討ち取り敵を退かせたが、今度は木山弾正本人が槍を掲げ20人程を連れて現れた。
木山「足元に居るのは加藤主計頭(かずえのかみ=清正)と見える!我と一遣り合わせ、大将と大将の勝負を仕らん!」と駆け寄った。
清正は眼を「くぁっ!」と見開くと、手練の十文字槍を掴んだのだが・・・それは・またの話 by^-^sio