これはシオレベルでは、何としても判らなかったんです。
手持ちの北肥戦誌データ、各種WEBサイトでも、そこまで踏み込んだものは無かった。
これはもう完全に研究者の論文待ちの世界。(宮島先生の別稿って発表済かな?)
手持ちの北肥戦誌データ、各種WEBサイトでも、そこまで踏み込んだものは無かった。
これはもう完全に研究者の論文待ちの世界。(宮島先生の別稿って発表済かな?)
で、二次史料、三次史料に垣間見える部分から、無理矢理に推測するに・・・
河上社大宮司職は東千葉氏だったんじゃなかろうか・・・です。
河上社大宮司職は東千葉氏だったんじゃなかろうか・・・です。
肥前千葉氏嫡家は西千葉氏なんですが、東千葉初代・興常に敗れちゃって、本城である牛頭山城を東千葉氏に奪われちゃってるからです。
または大宮司職は空位。
河上社のトップである座主が、東にも西にも「いい顔」してた可能性も否定できない^^;
または大宮司職は空位。
河上社のトップである座主が、東にも西にも「いい顔」してた可能性も否定できない^^;
んで河上社が有してた国衙(こくが=政庁)機能ですが、おそらく戦国まっさかりでは機能不全状態だったと思います。
何度も戦火にあって、社殿も壊されちゃてるのネー(*´・д・)(・д・`*)ネー
何度も戦火にあって、社殿も壊されちゃてるのネー(*´・д・)(・д・`*)ネー
自分が国衙(政庁)が機能不全と推論した根拠は、蓮華院住持・増純の存在です
蓮華院住持・増純・・・後に実相院座主となって実相院を中興させた実力者
その増純は、肥前千葉氏宿老・円城寺氏の一族です。円城寺家では徳善院と蓮華院と二つの寺院へ、一族から住持を歴代輩出してました。
ちなみに龍造寺四天王・円城寺信胤は、この円城寺庶流なのネー(*´・д・)(・д・`*)ネー
んで、増純は河上社の荒廃を嘆いて、復興運動を始めてます。
考察1で話したように、河上社の維持経費は本来は公共事業みたいなもんだから、それが機能してたら雨漏りすら放置なって有り得ない話なんです。
考察1で話したように、河上社の維持経費は本来は公共事業みたいなもんだから、それが機能してたら雨漏りすら放置なって有り得ない話なんです。
増純さんの苦労バナは記事にしてるんで割愛、機能復活は龍造寺隆信が安堵状を発給するようになった以降でしょう。
当然、河上社の支配機構ネットワークは龍造寺のモノ。
龍造寺の家臣となった西千葉氏当主・胤連が、河上社大宮司になってるのだけは確認とれました。
(参照:大和町史、元出典:実相寺文書)
当然、河上社の支配機構ネットワークは龍造寺のモノ。
龍造寺の家臣となった西千葉氏当主・胤連が、河上社大宮司になってるのだけは確認とれました。
(参照:大和町史、元出典:実相寺文書)
んで、またまた個人的推測なんですが、機能も建物もボロボロだった河上社は、山内豪族頭領だった神代勝利公の保護下にあった・・・ぽいんです
神代勝利公イメージ画像これは北肥戦誌と三瀬村史をガン見して比較して出した推論で、一次史料による考証は素人なんで勘弁^^;
まず最盛期の神代勝利公エリアには、河上社(大和町)がスッポリ入ってます。
龍造寺隆信VS神代勝利公の川上合戦では、動員の段階で神代勢が不利でしたが、河上社は神代本陣に神域を提供してます(もしくは勝手に使っててもノンクレーム)
神代勝利公が亡命先から山内に復活した際にも、河上社の社人が逸早く差し入れしてます。
龍造寺隆信VS神代勝利公の川上合戦では、動員の段階で神代勢が不利でしたが、河上社は神代本陣に神域を提供してます(もしくは勝手に使っててもノンクレーム)
神代勝利公が亡命先から山内に復活した際にも、河上社の社人が逸早く差し入れしてます。
まぁ、ここまでは推論にするには弱すぎる根拠ですが、
自分が判断の決定的な決め手にしたのは河上社の西門寄進(1573年)です
出典は上記の(参照:大和町史、元出典:実相寺文書) 寄進の棟木(写)によると、 座 主:省略 大宮司:千葉胤連 願 主:蓮華院住持増純 大檀那:龍造寺政家、神代長良
神代長良は、神代勝利公の嫡男です。
大檀那ってことは今で言う所のスポンサーで、お金は龍造寺家と神代家が出しましたよ~って事です。
この頃の神代家は、まだ佐賀藩親類になる前。
長年敵対してたから和睦の証とかにしても、神代家が河上社に何らかの所縁があるからの寄進のはずです。
大檀那ってことは今で言う所のスポンサーで、お金は龍造寺家と神代家が出しましたよ~って事です。
この頃の神代家は、まだ佐賀藩親類になる前。
長年敵対してたから和睦の証とかにしても、神代家が河上社に何らかの所縁があるからの寄進のはずです。
自分は、神代勝利公・長良公親子は、タイミングと諸要因が上手く行ってれば「戦国大名」になれる可能性を秘めてたと推測してました。
その推測の中の一つが三瀬村史(ベースは神代家伝記)には書かれていない「神代家と河上社の所縁」です。
神代家は筑後国一宮・高良大社に仕えてた武家でしたし、当時の人間ですから河上社の国衙機能に気付いてないはずありません。
神代家は筑後国一宮・高良大社に仕えてた武家でしたし、当時の人間ですから河上社の国衙機能に気付いてないはずありません。
てかシオの推測が事実なら、神代家側では絶対に記録として残せません^^;
何か企んでたっぽく解釈されたらアウトですもん^^;
何か企んでたっぽく解釈されたらアウトですもん^^;
ということで、シオが自分の推論の正否を確かめるためには、
一次史料というアルプスかエベレスト級の、高ぁ~いハードルが聳え立ってます(´;ω;`)ウッ
何しろ道産子ですから、入手事態が困難です(´;ω;`)ウッ
あっても専門書なんで高額・・・il||li _| ̄|○ il||l
一次史料というアルプスかエベレスト級の、高ぁ~いハードルが聳え立ってます(´;ω;`)ウッ
何しろ道産子ですから、入手事態が困難です(´;ω;`)ウッ
あっても専門書なんで高額・・・il||li _| ̄|○ il||l
いや・・・それ以前に問題なのは、古文書の読解力ゼロってところです,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
どんな高額専門書をゲッツしたところで、今のシオには宝の持ち腐れになりかねません。
下手すりゃ解釈ミスって、あらぬ方向に迷っちゃいます。
どんな高額専門書をゲッツしたところで、今のシオには宝の持ち腐れになりかねません。
下手すりゃ解釈ミスって、あらぬ方向に迷っちゃいます。
そういう訳で、シオはもっともっと研鑚して、基礎知識の底上げしなきゃなんです。
てことで今回入手した古文書学入門書で精進します(-人-)☆彡
てことで今回入手した古文書学入門書で精進します(-人-)☆彡
以上、感想と考察と決意?でした^-^