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Channel: 九州戦国ブログ~室町末期から江戸初期まで~
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【肥前後藤氏・五~純明(すみあき)中篇~】西肥前強化期間リサーチ7武家目

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後藤氏は歴代当主の名前が気に入ってるから・・・(._+ )☆\(-.-メ)オイオイ
ゲホグホ・・・もとい、渋江氏との絡みが多いため、他のリサーチより長くなってます^^;
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橘姓渋江氏、最盛期当主・公勢には、後藤家の家督を継いだ長男・純明の他に二人の男子がいた。

次男・公政
三男・公親

で、共に日鼓岳城で暮らしてて、家族団らん・・・のはずが不穏な空気に・・( ̄ω ̄A;アセアセ
というのも公勢は跡継ぎに三男の公親を指名するという、揉めそうな決定してたからです。

決定時、三男・公親は元服も未だの少年。
三男の生母が、よほど公勢の寵愛を受けてたか、理由は不明ですが、当然次男サイドは不満で一杯。
特に熱心だったのが次男・公政の乳母で、「次男若君を当主にする為」と公親毒殺を画策した。

1527年(大永7)三月のある日、公勢は公政・公親と鞠遊びに興じ(蹴鞠の練習かな?)、年若い公親が飲み水を所望した。
チャンスとばかりに次男乳母が素早く毒を注ぎいれた水を用意し、差し出した。
ところがココでトンデモナイ計算ミス発生!!

次男乳母が差し出した毒入り水を、当主である公勢が受けとり飲んで、更に次男の公政に進めてしまい、次男は毒入り水の残りを飲み干してしまった。
次男乳母 アッ━━(゚ロ゚;)━━!!って、思った時には既に手遅れ。
公勢も乳母の大事な大事な次男若君も儚くなった(-人-)☆彡ドンダケ強イ、毒盛ッタンダ・・・

次男乳母がどうなったかは不明です。
即死するほどなら、毒を混入したのはバレバレだろうから、次男乳母は最初から自分の死は覚悟の上だったはずです。
己の乳を含ませた次男若君の死で錯乱自害か、毒混入画策が発覚して殺されたかのいずれかでしょう。

とにかく助かったのは、長幼の列を守って大人しく水を飲むのを我慢してた三男・公親クン13歳だけ。
「所望したのはワシじゃ、ワシが飲む~」ってせがむような行儀悪い子だったら、次男乳母の思惑通りだったのにネー(*´・д・)(・д・`*)ネー
混乱の中、渋江家当主となった公親だが、13歳では自身で統治が出来るはずもない。
そこに付け込んだのが、実兄である後藤純明。

後藤純明は渋江氏攻略を開始し、長島庄をゲッツ(=^・ω・^=)v ブイ


喜びも束の間。

1530年(享禄3)有馬晴純の武雄攻略が始まる

有馬勢は、後藤の本城である塚崎城(武雄市役所の側)を攻略。
さらに住吉城(黒髪山の麓)にまで迫ったのだが、それは・またの話 by^-^sio

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