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Channel: 九州戦国ブログ~室町末期から江戸初期まで~
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【進入!有馬エリア~龍造寺VS有馬7】龍造寺隆信「展」の巻7

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鍋島信昌(後の直茂)は堤尾山に備えを固めて陣を布いた。

えっと・・・さがの文化お宝帳HPによると、江北町佐留志にあった山らしい。
どうも土地開発で削られちゃったらしく、堤尾山らしい山が探せなかった^^;

更に隆信は返す刀で、急ぎ長尾口を塞ぎに掛かる。
これは、逃げ帰って来る大村・多久勢を逃走させない為である。
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逃げ場を塞がれた敵(有馬)勢は、山林へと散り散り逃げ惑って行った。
その中に居た案内者・長尾村の倉富米満、波佐間村の田中掃部助は留まって討ち死にした。

多久は有馬エリアだったので、地元の豪族は道案内として出陣してたんですね。
長尾村は町村合併で多久市多久町南多久町に編入されてます。

波佐間は×間違い
羽佐間が○正解~こっちも町村合併で東多久町大字別府羽佐間に編入。

ちなみに1562年の北肥戦誌で別府と出てたら、大分県の別府じゃなくて多久市東多久町の別府な件^^/
同じ肥前国内だからなのか、町村クラスだと他地域と名称が被ってる地域が意外と多いのネー(*´・д・)(・д・`*)ネー

隆信は多久城へ入り兵馬を休める。
有馬の敗残兵は杵島の横辺田へ退却、楠久津に籠って、須古の平井経治と塚崎・武雄の後藤貴明へ加勢を請うた。

くどいようだが、杵島郡は有馬エリア。
横辺田はガチ有馬領で、地元の百姓は1563年まで有馬へ租税を納めていた。

隆信が多久の城を落として以後、龍造寺家に降参する者が相次ぐ。
一方、梶峰城を失った多久宗利は直に須古へ出向いて、平井経治を頼った。

7月26日、隆信は後藤貴明へ使いを出し

これより多久より横辺田へ陣を移し、有馬の残党を残らず討ち果たす心算である

このとき我らと敵対しないで頂きたい

もしまた有馬へ加勢されるならば、御辺と一戦に及ぶのみである(`・ω・´)キリッ

と申し送る

隆信はその返答を待たず杵島へ陣替えした。
貴明はいまだ返答をしなかった。

後藤貴明「・・・・・・・・(ノーコメント)」
これは、もう返答のしようもなかっただろう( ̄ω ̄A;アセアセ
有馬からは援軍要請、龍造寺からは脅しかけられ・・・

てか、そもそも後藤貴明からすれば、有馬に恨みはあっても援軍する謂れがない。
でもでも龍造寺が~~~~~~~

「有馬VS龍造寺」・・・それは、後藤貴明の人生後半における苦衷・苦悩が始まった年だった・・・
いっそのこと強い方・勝った方に、さっさと鞍替えできる程度の小勢力なら悩まずにすみます。
塚崎・武雄の後藤クラスとなると、大物のどっちからもアテにされたり狙われたりで、進退が凄い難しい(-ω-;)ウーン

然る処に隆信の後方より有馬・大村の残兵が、鬨を上げて切り掛かった。
隆信は元来より機微万化の大将であり、これにも全く動じず、先備を即座に後方へ繰り出して有馬勢に対した。
敵は所詮敗残兵であり、再び打ち負けて敗走した。

イメージ 1
 龍造寺隆信イメージ画像

いつも思うんですが、隆信は「ヽ(。_゜)ノ へっ?」とか「はぅっ!( Д )  ゚  ゚」てな感じの顔文字とは無縁。
とにかく、どんな事態でもビックリとか驚愕とか、動揺するって事が殆どないです。
たぶん、きっと、、、少弐の裏切りで父や一族が討たれた時に、一生分のビックリの感情を出し切ってしまったのでしょう・・・ (゜-Å) ホロリ

隆信が北方という場所へ陣を移す。

あ~馬渡エリアの北方町っすね(゜゜)(。。)(゜゜)(。。)ウンウン
ちょっと不思議に感じてる事なんですが・・・・
この有馬VS龍造寺で白石町の須古城・平井経治が出陣してるのに、同じ有馬サイドで北方町の馬渡氏(本家)が北肥戦誌に出て来てないんです。

馬渡氏の庶流は龍造寺配下でして、有馬に計略しかけて初戦における龍造寺勢勝利に貢献してます。
これに絡んで何かあったのか・・・単純に後詰だったのか・・・北肥戦誌だけでは馬渡本家の動きは判りません。

後藤貴明は猪熊半助を使者に、隆信勝利の祝儀を述べさせると、
隆信は北方の陣を払い横辺田へ引き、福母山に陣を布いた。

どうやら隆信が北方町に陣を布いたのは、ノーコメント後藤への脅しだったみたいですね。
北方町も塚崎も同じ武雄市内だから、後藤の本貫地の目と鼻の先まで隆信は陣を進めてたんです。

これ以上は知らんぷりは出来ない~~と、後藤貴明が使者に祝儀の口上を述べさせ、龍造寺に敵対するつもりがないのをアピールすると、それに満足して龍造寺は即移動。

隆信が次に移動した福母は、北方よりも横辺田(杵島郡大町=当時、有馬領)に近いです。
有馬エリア内を転々と移動する龍造寺隆信。

山内の神代勝利公との戦いの時といい、沖田畷の時といい、敵エリアにガンガン入る「肥前の熊」さんなのだが、それは・またの話 by^-^sio

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