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Channel: 九州戦国ブログ~室町末期から江戸初期まで~
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【隣の不幸は蜜の味】相良史・相良義陽---18

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目標~~夏までに論文一本!(`・ω・´)キリッ

ブログ村~登録カテを戦国時代に引っ越しました(*´pq`)
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自分の脳内・義陽は、もしかしたら皆さんのイメージとは、かなり違うかもしれません^^
相良義陽の最期は「九州武将列伝」的な本には、たいてい紹介されているので、歴史関連の小説・雑誌を読んでる人には、割と知られています。

でも、その発端となった諍いの根っこというか始まりのキッカケが、日向の北原氏にある・・・
という事は殆ど知られていません。

日向の肥沃な穀倉地帯・真幸院・・・ここを本貫地にしているのが北原氏・最盛期の動員兵力は一万余!


北原氏のライバルが北郷(ほんごう)氏で、島津の分家です。
初めは北原氏が優勢でした。
というのも北郷の宗家・島津は内輪もめが続き、日向まで手が回らなかった^^;

もっとも北郷の方も独立の気風が強く、宗家が介入しすぎるのを喜ばなかった。

なぜなら北郷の領地は島津家からの分知ではなく、
南北朝の戦いの功績により自力でゲットした領地だったので、プライドが高かったからです。
そんな北郷が宗家・島津に対し、家臣化するのは「九州の役」以降になる。


さて日向といえば伊東VS島津の「飫肥の役」ですが、実は伊東軍は単独ではく、北原との連合軍でした。
余力のあった北原は、相良領を窺い、時には侵攻(16代義滋の時)してきた。
おまけに相良で問題を起こす連中は、揃いも揃って北原領へ逃亡する。
厄介なお隣さんです。

そんな北原に陰りが出始めたのは、島津家の内輪もめが治まり「日新斎(父)貴久(息子)中興の祖コンビ」で固まった頃。
国人たちが鬩ぎ合うことにより保たれていたミリタリーバランスが崩れ、北原への圧迫が強くなってくる。

北原の(同盟+縁戚)の伊東はあてにならない。
伊東義祐は飫肥城攻略に夢中で、北原になんか構ってられなかったからです。

1560年~北原没落へ決定的なことが起きた・・13代目当主が男子の無いまま死亡!


13代目には男子はいないが、娘がいた。
彼は「娘と叔父・兼孝の息子を結婚させて家督を継がせるように」と、遺言した。
「叔父の息子」と「甥の娘」・・・これもやっぱり「叔父と姪」になるんだろうか(-ω-;)ウーン 

ところが肝心の娘が3~4歳で早逝してしまう。
北原の重臣は相談の上、「なら息子ではなく父の方~つまり亡き13代目の叔父・兼孝様を当主にしよう」と決した。
「ちょっと待ったぁ!!」と北原重臣の決定にダメ出ししたのが伊東義祐だ

実は「亡き13代の妻」=(イコール)「伊東義祐の次女・麻生」だった。
伊東義祐は亡き13代目の舅にあたり、その縁戚関係をテコに北原の家督問題に介入した。

イメージ 1


伊東義祐の案「13代目の未亡人(ワシの次女^^)と「北原庶流の馬関田」を再婚させて家督を継がせるべし★


これは根っこに「宗教問題」が横たわっていた。
重臣が当主に押す兼孝はガチ真宗信者だったが、伊東義祐はドップリ禅宗ラブ。
伊東は大和から仏師を呼んで大仏を建立する熱の入れようだったので、真宗信者の兼孝が気に入らなかったんです。

重臣「馬関田・・まんがた・・って、、、、
イメージ 2


( ´д`)ぇえぇ~~~~6代目頃に別れた庶流の家??
ざっと遡って150年前以上に枝分かれした支族・・・庶流といっても端っこすぎるやん!!
実叔父がいるのに、そんな傍流を主君と仰げるか! o( ̄Д ̄θ★ケリッ! と反対した。

伊東義祐は「まぁまぁ話し合おう」と、都於郡(とのこおり)城へ反対派重臣を呼び寄せ詰問し、

彼らの帰りに待ち伏せして、、全・員・殺・し・た

さらに飯野城にいた重臣押し当主候補・兼孝・も・抹・殺


邪魔者を始末したところで伊東義祐は、13代目の未亡人(伊東の次女)と馬関田を結婚させ、傀儡当主とした

1561年10月24日~伊東義祐は北原家の忠義者たち・・・反対派の生き残りを殲滅

1562年~北原領は完全に伊東義祐の意のままになってしまったヾ(  ̄▽)ゞキョホホホホホ

伊東さん・・・あんたはホントの悪や・・・

http://blog-imgs-49.fc2.com/s/i/o/siori20120901/20120917112550459.jpg リフォーム会社のロゴマークみたいな伊東家家紋

ちなみに13代の未亡人は元和4年(大坂の陣の後)まで長命しています。
おそらく伊東が没落した後は「大友へ豊後落ち⇒大名復活した祐兵が保護」って感じでしょう。 

とにかく北原家は風前の灯~~~
この状態を嘆いた北原旧臣が、島津家の重臣・樺山さんに助力を請うた。

北原家を軸に政局が動き、相良義陽も深く関わるのだが、それは・またの話 by^-^sio

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