~サブタイ・小田氏をめぐる政治構造の変遷~
郷土史家・森周蔵先生著^^/
郷土史家・森周蔵先生著^^/
えっと某お10様にリクエストされた・・・というだけでなく、
自分がシャウトせずにいられな~~~~~~~~~~~~~~い!!!
完全にオタクの呟きですので、スルー可です^^;
自分がシャウトせずにいられな~~~~~~~~~~~~~~い!!!
完全にオタクの呟きですので、スルー可です^^;
最初は「知ってることばっかり~」と流し読みしてたの。
九州治乱記(北肥戦誌)」を出典にしてる記述が多かったから、
シオブロ肥前史書庫を読んでる方なら「これ見たかも~」ってボヤンと思い出すかな~って感じです。
九州治乱記(北肥戦誌)」を出典にしてる記述が多かったから、
シオブロ肥前史書庫を読んでる方なら「これ見たかも~」ってボヤンと思い出すかな~って感じです。
あと剛忠(家兼)が山城守だってのが判った~ゎーィ♪ヽ(*´∀`)ノ
いや、サイトのどっかで見た記憶はあったんだけど、ちゃんとした出典元で確認とれてなかったんです^^
いや、サイトのどっかで見た記憶はあったんだけど、ちゃんとした出典元で確認とれてなかったんです^^
そっか~剛忠(家兼)ジーちゃんの跡を継いだから、隆信も山城守だったんだ。
(゜゜)(。。)(゜゜)(。。)ウンウン
(゜゜)(。。)(゜゜)(。。)ウンウン
怪しく?なるのは、論文佳境に入った段階・・・・・
「小田家臣への配分帳(天文17年)を横岳氏が所蔵してた」
「中略)横岳氏は小田氏の配下である」
「中略)横岳氏は小田氏の配下である」
( ´д`)ぇえぇ~~~~んなバカな!!
年度不明の文書ばっかりなのに、よく特定できたな・・・|論文|_ ̄)じぃー
年度不明の文書ばっかりなのに、よく特定できたな・・・|論文|_ ̄)じぃー
って、横岳家文書の何処にあるんだ~~~アタヽ(´Д`ヽ ミ ノ´Д`)ノフタ
表題にない~~てかソレっぽいのが無い~~~
伊万里市川浪氏所蔵ってなってるから、佐賀県史料集成に収蔵されてないのか?
あぁっ~~!認めたくない気持ちが先にたって、脳に浸透しない・・・il||li _| ̄|○ il||l
表題にない~~てかソレっぽいのが無い~~~
伊万里市川浪氏所蔵ってなってるから、佐賀県史料集成に収蔵されてないのか?
あぁっ~~!認めたくない気持ちが先にたって、脳に浸透しない・・・il||li _| ̄|○ il||l
※シオ依怙贔屓度東肥前編~
1番・神代勝利>2番・横岳資誠>3番・小田氏(でも基本、全員好き♪)
1番・神代勝利>2番・横岳資誠>3番・小田氏(でも基本、全員好き♪)
は、ともかくとして少し強引よネー(*´・д・)(・д・`*)ネー
論文によると「横岳が領地問題を大友に訴えたのも小田氏が仲介してた」と。
確かにソレとおぼしき文書を典拠に挙げてるんですが、横岳は大友家臣とも遣り取りしてるので、ルートは小田だけじゃないと思います。
確かにソレとおぼしき文書を典拠に挙げてるんですが、横岳は大友家臣とも遣り取りしてるので、ルートは小田だけじゃないと思います。
龍造寺隆信が小田を殺した時に、何も知らない小田の妻(隆信の養女)に手紙を書かせて誘き出すという計略を使いました。
そこまでして小田を殺さなければならなかった理由が、反龍造寺の中心に小田がいたからだったのでしょう。
そこまでして小田を殺さなければならなかった理由が、反龍造寺の中心に小田がいたからだったのでしょう。
ちなみに多久家に小田氏の書物写があったのは、小田政光三女が多久の龍造寺長信に嫁いだからです。
多久安順の生母は小田政光三女なの(^ -)---☆Wink
多久安順の生母は小田政光三女なの(^ -)---☆Wink
それと小田氏から派生した四家が武雄鍋島氏に仕えてました。
後藤貴明の養子となって武雄鍋島氏の祖となった龍造寺家信が、一時期、小田氏の養子だった縁からのようです。
後藤貴明の養子となって武雄鍋島氏の祖となった龍造寺家信が、一時期、小田氏の養子だった縁からのようです。
う~ん・・・予想以上に濃い論文だった( ̄ω ̄A;アセアセ
今山合戦の時に参考にしよう__φ(.. ) メモメモ
今山合戦の時に参考にしよう__φ(.. ) メモメモ
横岳家文書を出典に幾つかあげてるんだけど、読み下しスタートしたばっかりなので、文書のどれの事か未だ見つけられない^^;
ま、自分は自分で読み下して、実力つけていくしかないです(`・ω・´)キリッ
ま、自分は自分で読み下して、実力つけていくしかないです(`・ω・´)キリッ
古文書ビギナー~ファイトーー!( °ロ°)乂(°ロ° )イッパーーツ!!