今回の話は、シオのオタク呟きやマニア解説やウンチク考察は、野暮。
北肥戦誌の雰囲気をお楽しみ下さい^-^
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(永禄元年/1558年、10月) 明けた16日、勝利は河浪駿河守に槍を持たせ、自ら斥候に出る。 一方、小河信安も下人に槍を持たせて斥候に出ていた。 二人は脇道より登った険しい山の細道で行きあう。 互いにそれよと見れば、勝利は駿河守に預けていた槍を押っ取り、力足を踏み込んで
やれ、筑後守(小河信安)か、勝利なり。いざ勝負を決せん」と述べる
信安は笑い、「心得たり。勝利物々しや、元より願う処。此度の合戦の雌雄は、汝と我、ただ二人が勝負に在るぞ。いざ、参り候
と言うや否や、槍を取り直し突き合った。 大力共の踏む足に砂混じりの岩石微塵に砕け、左右の谷へ落ちる事雨の如し。 双方の家臣は援けようとするが、道が一騎分しかなく、脇は石壁数十丈が聳えたち、中々駆け寄り難かった。 勝利の従者・駿河守はあまりに堪えかね、砂を掴んで勝利の草摺の下から打った。 信安は長身ゆえに勝利を見降ろし突き合うと、勝利は一の腕を突かれて無念と悲鳴を上げ突き返すが、信安は受けきれずに己の頬先より右の小髷の際に甲の鉢を槍先深く貫かれた(股を突かれたとも)。
信安は「ええ口惜しい口惜しい」と二言三言言う処へ河浪駿河守が走り寄って首を取られた
神代勝利の槍を預かり、小河信安の首を直接落とした河浪駿河守ですが、一説には梅津兵部とあります。
梅津兵部は、甘南備城攻撃の際に崖道で転んで討たれた梅津帯刀の父です。
別説なら梅津兵部は息子の仇を取った事になるのですが、、、それだと話が出来過ぎちゃうかな^^
落とされた小河の首級は神代勝利によって丁重に弔われたとあります。
以前記事にしましたが、小河は神代を暗殺しようと神代の城の湯殿に潜入、発覚して失敗したエピソードがあります。
かなりの大男だったと言われてるので、どうやって忍び込んだのか謎,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
神代は小河を殺す事無く、それどころか自身の酒宴に招き、小河と酒を酌み交わして帰してやりました。
いかにも自己演出・外連味たっぷりの神代らしい話です。
以前記事にしましたが、小河は神代を暗殺しようと神代の城の湯殿に潜入、発覚して失敗したエピソードがあります。
かなりの大男だったと言われてるので、どうやって忍び込んだのか謎,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
神代は小河を殺す事無く、それどころか自身の酒宴に招き、小河と酒を酌み交わして帰してやりました。
いかにも自己演出・外連味たっぷりの神代らしい話です。
それだけに小河信安は何としても自身の手で神代勝利を討ちたかったんだと思います。
でもそれは小河の個人的感情。
結果として小河の行動は、主君である龍造寺隆信の判断を狂わせてしまったんです。
でもそれは小河の個人的感情。
結果として小河の行動は、主君である龍造寺隆信の判断を狂わせてしまったんです。
十五夜(満月)の翌日の月は、天空に出るのを躊躇うのだという。
そのため15日の翌日を「いざよい・十六夜」と呼ぶようになったそうです。
そのため15日の翌日を「いざよい・十六夜」と呼ぶようになったそうです。
十六夜の月を龍造寺隆信は、どんな思いで見上げたのでしょうか・・・
隆信の判断ミスで龍造寺勢には更なる戦死者が出てしまうのだが、それは・またの話 by^-^sio
隆信の判断ミスで龍造寺勢には更なる戦死者が出てしまうのだが、それは・またの話 by^-^sio