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Channel: 九州戦国ブログ~室町末期から江戸初期まで~
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【永禄元年、10月十六夜(いざよい)前篇】龍造寺隆信「覇」の巻10

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ここから先は北肥戦誌と三瀬村誌とでは記述が異なって来るので、当初の予定通り北肥戦誌ベースで行きます(`・ω・´)キリッ
(緑太文字は北肥戦誌より抜粋、三瀬村誌は適宜に参照・引用します。)
(ちなみに三瀬村誌は佐賀市所蔵でWEB公開してます。佐賀市ありがと~~ゎーィ♪ヽ(*´∀`)ノ)


1558年(永禄元年)10月15日、一族が神代勢に討たれたのを知った小河筑後守信安。
[神代が首を討ち取り、討ち死にした者らへの手向けとする]と言い放つと、己が手勢で勝手に出陣してしまう。

「お・・小河!Σ(´Д`;)」
知らせを聞いた主君・龍造寺隆信は「小河を討たせてはならぬ」と、弟・兵庫頭長信らを率いて自らも出陣した。
て流れで突出した小河信安勢は、そのまま先陣を担うことになった。

http://blog-imgs-50.fc2.com/s/i/o/siori20120901/20130721181958c3d.jpg

ちなみに三瀬村誌だと出陣は14日だし、小河は勝手にじゃなくて隆信をせっついて出陣を促し、先陣を賜わった事になってる。
北肥戦誌の方が強引で激情家な小河の気性が良く出て、話としては面白い。
一方、三瀬村誌はヒーローはあくまでも神代勝利なので、どうしても神代がカッコ良く他が引き立て役になるのは致し方ない^^;

三瀬村誌の小河は、神代サイドの梅野一族の一人・梅野弾正を味方に引き込み道案内させたとある。
さすがにここまでの郷土史レベルとなると、どちらの記述に信憑性の軍配を上げるか、他県人では判断のしようがない^^;

とにかく小河信安が春日山・甘南備城に到着した時には、既に神代勝利は陣を引き払いもぬけの殻。
討死した者たち・・・小河の一族らと手勢の亡骸のみが横たわっていた。
「我が一族、顔見知った者たちが・・・!(´;ω;)ウッ・・・゜・(PДq。)・゜・」

小河信安は歯噛みし悔しがり「(# ゚Д゚)・;'.ならば山内へ打ち入らん!」と発する。
が、従者らが「ダメダメ~~山内一帯は神代の庭みたいなもんです!これから夜が更けて行くのに動き回るのはヤバすぎ!!」
と、必死に制止したので強引な小河も止む無く、その夜は春日山に陣を布いた。

http://blog-imgs-49.fc2.com/s/i/o/siori20120901/20130113151825b3b.jpg 神代勝利イメージ画像
これを聞いた山内勢はすぐさま集まり、高野寺の大鐘を鳴らすと、小城の千葉胤頼が加勢に駆け付けて尾形山に陣を張り、近隣の者は小副川の寄合原に集まった。
北肥戦誌には高野寺とありますが、これは寺ではなく地名というか・・・場所は富士町関屋の高野岳。
山内に権現山があるんですが、高野は登山口にあたる高野岳で集落があります。
寺もあって正式名・高野岳良源寺なんだけど、開基が判らなかったので、北肥戦誌にある高野寺が高野岳良源寺と同じかどうかは不明です。

前置きはさておき、この大鐘は非常・危急を知らせるための手段として、神代が山内に復帰した永禄元年早々に設置しました。

権現山頂上に大鐘を設置し、イザって時は鐘を打ち鳴らし山々に知らせます。
鐘の音が聞こえない場所には法螺貝・太鼓の決まった合図で知らせ、夜には各所で篝火を焚く。
ピンチ・戦の動員の際は、このシステムにより一日で山内全てに合図を送る事が出来ました。
神出鬼没だった神代勝利の行軍の速さを支えたのは、こうした工夫の賜物でしょう。

小城市から千葉胤頼(少弐冬尚実弟)が駆けつけるくらいだから、相当広範囲まさに山内一帯に「合図」を送ってたんだな~
尾形山は探せなかったけど、小副川は富士町にある地名です。
神代勢は3000を二つに分け、勝利が率いた1700は熊野峰に陣を布き、勝利の嫡子・神代長良が率いる1300は名尾口へ向かう。
熊野峰・・・解んないな~三瀬村誌だと神代は三反田すじへ・・・とあります。
となると大和町大字松瀬にある三反田郵便局付近です。
名尾口・・・名尾峠は佐賀市の方ならピンと来るんじゃないでしょうか?現在では夜景スポットだとか^^
てか、神代親子は富士町から大和町方面へ(山あり谷あり6km位を)夜のうちに、一気に移動したのネー(*´・д・)(・д・`*)ネー
小河信安出陣の日付は三瀬村誌の10月14日が正解なんじゃないかな~
でないと神代側が「山内一帯へ合図⇒集合⇒名尾峠まで移動」を一晩でやり遂げた事になるんで、いくらなんでも無理なんじゃ・・・( ̄ω ̄A;アセアセ

そこへ斥候が戻り、佐嘉勢が攻め来ており、その中に葦毛の馬に乗った老武者の真ん前に進み、頻りに鞭を上げる者があると伝えた。勝利は、それが小河信安と悟る。
勝利は佐嘉勢を待ち受けるよう命じると、夜明けを待った。
佐嘉勢・・・すなわち小河信安と神代勝利のニアミス交戦が起きるのだが、それは・またの話 by^-^sio

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