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●大河平家
父祖:大河平越前守隆屋、
初代:大河平左近将監隆充、
弟:大河平孫左衛門隆堅
隆堅嫡男:大河平孫次郎隆光、
隆堅次男:大河平源太左衛門隆重
二代:大河平仲太左衛門隆利、弟:大河平弥左衛門隆豊、妹:ナミ
弟(三代):大河平九郎隆次
一族家老:八重尾兵部左衛門重視、八重尾後藤左衛門、大河平隼人、佐藤壱岐
系図にすると↓
●皆越家
地頭:皆越安芸守貞学(貞当とも:白髪岳・北麓北越部落は皆越の地頭)、
一族:皆越六郎左衛門---ナミの夫で後の大河平氏四代:隆俊
六郎左衛門と皆越地頭との系譜上の繋がりは不明
ナミが六郎左衛門に嫁いだ時期も不明だが、ナミを嫁にと所望したのは皆越側。
●北原家
北原又八郎兼守(13代)、麻生(兼守室・伊東義祐の娘)
北原民部少輔兼孝(兼守叔父)
北原掃部介兼親(又太郎:再興主君)---1564年領地維持困難により飯野から伊集院神殿村に30町の捨て扶持で左遷
北原左衛門尉(吉松城主:伊東・相良連合を図る)---画策がバレて1564年北原家出奔後不明
北原三河守兼慶(反伊東派:栗野城主。兼孝の叔父(?)。六野原にて粛清される)
北原八郎右衛門尉(反伊東派:徳光城主)
北原伊勢介(横川城主:貴久の調略を無視し島津歳久に攻められて自害)、
北原新介(伊勢介の長男。父と運命を共にする)、
北原又八郎(伊勢介の次男:木崎原で戦死)
◎北原家臣
平野兵部忠義、中城出羽(共に上村兄弟の援軍となるも討ち死に)
馬関田右衛門佐(祖は5代範兼の弟の又九郎。伊東義祐に擁立され未亡人麻生と再婚する)
宮路某(栗野地頭。木崎原戦で伊東方三ツ山衆と して戦死した宮路阿波か?)
橋口刑部(内木場城主?:木崎原戦で伊東方三ツ山衆として戦死)
平良彦十郎兼賢(家老:伊東派。中務少輔。三ツ山地頭)
白坂下総介(家老:高崎住人:反伊東派:樺山家を頼る。後に高原城主)---北原家出奔後不明
白坂佐渡介(反伊東派)---北原家出奔後不明
白坂美濃介兼頼(反伊東派:踊地頭。後に島津家臣となり”白坂昌棟”と改名)
白坂将監篤義(反伊東派:兼頼の弟)
永野仲左衛門(土着の豪族・永野氏当主。今城合戦の際に大河平氏に与して戦死・諸説あり)
参照史料:『えびの市史』『本藩人物志』
参照文献:『物語り 大河平史』『諸県興亡』