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参照---行橋市史・資料編・中世
出典---旧記雑録後編一より
中書さぁ、なんつー当て字のオンパレードですか,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
参照元で読み下し済だから楽勝と思いきや~~口語体が手ごわい!
こりゃ、意訳に意外と手間取るかも( ̄ω ̄A;アセアセ
ちょびっとずつ行きます__φ(.. ) メモメモ
(三月)
一、四日、彦山より参詣仕ましき覚悟なりしかとも、態使僧馬二疋ささせられ候而、頻りにとありし間、不慮に参詣候、
<<超意訳>>
三月四日
彦(英彦・ひこ)山へ参詣GO(`・ω・´)キリッって、決意してたけど(英彦山から)態々(わざわざ)使僧と馬二頭で来られて、
頻(しき)りに・・・ぜひぜひって進めるから、不慮・・・ふりょ、思いがけず参詣したで候(`・ω・´)キリッ
当政所より道迄御酒持参、山臥五六人迎に来たられ候、それより政所へ着、種々の会尺、風呂なとも有、是よりも神物なと候、
当(英彦山の)政所より道(途中)まで山臥(山伏)5、6人が、御酒持参で迎えに来てくれた(*´pq`)
で、政所に着いて、いろいろ会尺(=会釈、えしゃく)・・・挨拶しまして風呂も有り。
是(英彦山)よりも神物(=進物・しんもつ)・・お土産貰いVIP待遇受けました__φ(.. ) カキカキ
この当時は風呂を用意してもてなす・・・って、VIP待遇だったんです^-^
いまみたいにシャワーやサウナが、スーパー銭湯にあるような時代じゃないので、
湯を沸かす以前に水汲み薪割りからスタートですからね(^ -)---☆Wink
家久君上京日記とは~ウィキペディアより抜粋
天正3年(1575年)、島津氏の三州平定の神仏の加護を伊勢神宮などに謝するため上洛した。
この時の上洛の顛末は家久自身が『家久君上京日記』という旅日記にまとめている。
今回アップ分は、その一部です^^
これは研究ではなく、個人的に島津家久ファンなので(*´pq`)クスッ
ちなみに家久君は、いえひさぎみ・・・と読みます。
決して「いえひさクン」とは読まないように (`・ω・´)キリッ