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![人物・良い家久]()
参照---行橋市史・資料編・中世
出典---旧記雑録後編一より
家久君上京日記とは~ウィキペディアより抜粋
天正3年(1575年)、島津氏の三州平定の神仏の加護を伊勢神宮などに謝するため上洛した。
この時の上洛の顛末は家久自身が『家久君上京日記』という旅日記にまとめている。
家久君は、いえひさぎみ・・・と読みます。
決して、いえひさクンとは読まないように (`・ω・´)キリッ
※原文、参照元では非掲載
青文字⇒読み下し(参照元)
ふつうの文字⇒超意訳(ブログ管理人シオ^^)
一、六日、政所より太刀一腰、同種々の祝物拝領、
(3月)6日、政所より太刀一振と他色々なお土産を頂きました(*´pq`)クスッ
それより打立候へは、又馬二疋にてほほはしらといえる所迄おくられ候、送の者へ何やらんとせ、
それ(英彦山)より出発し、また馬二頭にて ほほはしら・・帆柱(豊前中津郡)と言う所まで送ってくれました。ゎーィ♪ヽ(*´∀`)ノ
で、送りの者へ御礼しました。
さて其夜は紀伊のうち墻といえる村に一宿、あるしハ常心といへる禅門
さてその夜・・6日の夜は紀伊(城井)のうち墻(かき?)という村に一泊。
宿の主は常心という禅門・・・在俗の僧侶でした^-^
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大河ドラマでは豊前・城井氏を宇都宮~宇都宮~と、関東の御本家の名前で呼んでましたが、
戦国時代は土地の呼称でもある城井(きい)姓だったんです。
家久公、「きい」って聞いたけど漢字が判らず(城井って書いて「きい」って土地っ子でないと読めんわ)、
当て字で紀伊と書いたようです^^

監修様提供、島津家久公イメージ画像~川* ̄д ̄*川ポッ