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島津家久君上京日記_豊前訪問なぅ-4

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参照---行橋市史・資料編・中世
出典---旧記雑録後編一より

家久君上京日記とは~ウィキペディアより抜粋
天正3年(1575年)、島津氏の三州平定の神仏の加護を伊勢神宮などに謝するため上洛した。
この時の上洛の顛末は家久自身が『家久君上京日記』という旅日記にまとめている。

家久君は、いえひさぎみ・・・と読みます。
決して、いえひさクンとは読まないように (`・ω・´)キリッ


※原文、参照元では非掲載
青文字⇒読み下し(参照元)
ふつうの文字⇒超意訳(ブログ管理人シオ^^)

一、七日、紀伊殿といへる人の隠居所を一見、
(三月)七日、紀伊(城井)殿という人の隠居所(館?)を見ました。

それより行ハ、左の方ニ馬のたけとて長野殿の城有、
そこから左の方へ行くと馬岳(京都郡)で、長野殿の城が有ります。

さて伊摩井の町矢野次郎五郎といへる者のところへ一宿、
さて伊摩井(今居=中津郡)の町、矢野次郎五郎という者のところへ一泊、

夜入て辻雅楽助といへる人、す**食籠調候て、
夜になると辻雅楽助(うたのすけ)と言う人が、食籠(じきろう)を調えてくれました。

慶雲といへる禅門同心にて語りに来たり候
慶雲という在俗の僧侶が物語に来てくれました。ゎーィ♪ヽ(*´∀`)ノ

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突っ込む訳じゃないが・・・
当時の人って当て字が多くて、聞いた言葉を思いつくままテキトーに漢字ふってる。

それは判るが・・・・
今居を伊摩井って、一文字ごとに漢字チョイスって凄すぎじゃね?
これが戦国薩摩人の一般的な感性なんだろうか・・・そもそも南九州は難読地名が多いしな~(-ω-;)ウーン


>す**食籠調候て、

ここは欠落文字があったんで、ちとテキトー意訳^^;
食籠(じきろう)って言葉自体は《食物をいれる蓋付きの身の深い容器》のことだそうです。
だから、晩御飯(酒の肴?)をゴチになったのではないかと・・・^^

薩摩隼人だからな~家久公も酒が強かっただろうな~

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人物・良い家久
監修様提供~島津家久公イメージ画像^^

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