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Channel: 九州戦国ブログ~室町末期から江戸初期まで~
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相良義陽_49【相良と菱刈と薩州家と その6】

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≪はじめに≫
自分の本業研究は「肥前史」で、歴史記事は趣味で紹介しております。
肥前史以外の資料は所蔵していないので、記載している出典元は基本として自分では未確認です。
ですから、あくまでも「こういう見方もあるんだ~」という程度の「読み物」としてお楽しみ下さい^-^
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≪記事内ルール≫
年号は旧暦対応表記です
青文字⇒⇒一次or二次史料などの元出典があるもの
緑文字⇒⇒ウィキペディアなど三次史料や補足&解説となる部分
他文字⇒⇒分析・推測・・つまりIFバナなので、苦手な方はスルーで^^;
その他の出典&参照元⇒⇒必要に応じて都度明記
※何処までが確認がとれたデータか、孫引きデータなのかは、極力明記します( ̄ω ̄A;アセアセ≪はじめに≫
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大正期に発刊された三次史料「北伊佐史」には、島津宗家が「菱刈&相良対策のために」羽州家の島津忠明を大口城へ入れた。

とあるが、典拠となる史料は記載されていません。
あ、「羽州家当主・忠明が宗家当主・忠昌の命で大口城に入った」の部分は、本藩人物誌にも記載されてます^^/

一般的に、新たに城主を赴かせテコ入れするのは「何らかの脅威に対する備え」です。
島津宗家が「大口をリカバーしなきゃ」って判断した元となった脅威が、薩州家なのか相良なのか菱刈なのか、、、
ホントのところは具体的な一次史料・・たとえば起請文でも残ってない限りは、推測でしかないと自分は思います。

ですが、縁戚関係を鑑みると、なんとな~く、何となくは、見えてくるような気がします^^;
大口城主に嫁いだ菱刈家の姫は次女です。
相良に嫁いだ菱刈家の姫は三女。
(菱刈系図で、そこはハッキリしてます)
生没年不明ですから姉妹の年齢差は不明です。
が、昔であればあるほど結婚は上からが普通ですから、順当に考えるなら大口城主との縁組の方が先だったと思います。

イメージ 1
参照:薩州家エリアイメージ地図 

イメージにあるように、大口領と菱刈領は隣接しており、どのくらい近いかっていうと、平成の大合併で大口と菱刈が伊佐市になるくらいの距離感。

大口城主・島津忠明にしてみれば、周囲の守りを固める目的で菱刈と縁組し同盟関係になったのだと思います。
盟約のための縁組は、事前であれ事後であれ宗家了解の話だったはずです。
典拠となるデータはないですが、似たパターンで島津義弘が飫肥城のテコ入れで豊州家に婿入り養子縁組した例があります。
(※後に義弘が宗家の命で飫肥を離れたので離縁してます)

さらに菱刈重時の三女・土用毘沙が相良長皎に嫁ぐ事によって、大口城主・島津忠明&菱刈氏&相良氏の「三氏盟約」が成立した・・・・じゃないかな~~って推測です( ̄ω ̄A;アセアセ

縁組の年度が不明ですが、縁組で暫く大口城周辺は平穏だった・・はず
てか、そうなって欲しいから縁組するわけで^^;

で、史料がないので何ともカントモなのだが「何かあって」このバランスが崩れ始めるんです。
で、その何か~~ですが、状況が錯綜してて特定無理!!Σ(´Д`;) はぅっ

~~~全体の状況として~~~
島津宗家で家老(しかも二人)が謀反起こす←何とか鎮圧
大隅国衆・肝付氏が島津宗家と対抗する勢力として台頭←コッチは鎮圧に失敗
心身ともに疲れ果てた島津忠昌が、永正5(1508)年2月15日に自害。
家督を継いだ息子たちがパタパタと早死にし、
僅か10数年の間に島津宗家当主は忠昌⇒忠治(嫡男)⇒忠隆(次男)⇒忠兼(勝久・三男)と目まぐるしく代替わりします。

この間に、菱刈氏は縁組によって相良との同盟関係を強化してます。
年度不明---相良氏16代目・義滋の娘~菱刈重任(14代重州の兄弟)に嫁ぐ
年度不明---菱刈重州(14代当主)の妹~~相良長時(16代義滋の従兄弟)に嫁ぐ

一方、薩州家では、大永5(1525)10月5日、4代目当主・忠興が40歳という壮齢で死去し、嫡男・実久が数え14歳で家督を継ぐ。
史料がないために断定的な表現が出来ないのがもどかしい
が、当主が少年である以上、後見は健在な祖父で3代目当主であった重久のはずです。

さらに薩州家からは重久の孫娘が宗家14代目当主・忠兼に嫁ぎ、島津宗家の家督を巡る争いが再び惹起。
そんな中で大口城を巡る動きも慌ただしくなるのだが、それは・またの話 by^-^sio

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