1は鎌倉期・蒙古襲来関連なんでパスさせて下さい,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
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龍造寺家文書が天正年間に入り、肥後や筑後関連が出始めます。
てことで、そろそろ筑後知識が必要になるんで、田尻家文書も「読み下し」をスタートします^^/
原文
読み下し(てるつもり)
超意訳
(包紙上書)
「田尻左衛門大夫殿 親宗」
(異筆)
「文明十六年三月廿四日加領百町 左衛門大夫田尻恒種」
(以下本文)
山門郡之内上小河拾弐町事、預進之候、可有領知候、恐々謹言
山門郡の内、上小河十二町事、これ預進(よしん)候、領知有る可(べ)く候、恐々謹言
文明十六年正月十一日 親宗(花押)
田尻左衛門大夫(恒種)殿
***************************************
ん~~~定型文だから超意訳しようがないっす^^/
《預進之候、可有領知候、恐々謹言》
この部分は大友家の領地・知行関係における「書止め定型文」だったみたいです。
『可有領知候』の部分が、相手によって多少変化してます。
預ケ・・・とありますが、実質は領知充行のようで、息子の代でも相続を許されてます。
包紙も大友親宗が宛名を書いてて、丁寧ですね~さすが名門!
異筆のほうは、誰が書いたか判りません。
同年3月24日に百町加領・・・とあるのですが、花押がないので正式じゃなさそう^^;
山門郡は筑後・・・現在の福岡県・山門郡瀬高町上小川。
で・・・肝心の大友親宗ですが・・・・大友家の当主じゃないみたいです( ̄ω ̄A;アセアセ
推測ですが可能性のある人物としては、筑後詰郡代の田原親宗。
(田原氏は大友氏の分家で、大友家中で最大の勢力)
筑後詰郡代・・・つまり守護代に相当する地位なので、大友当主以外で安堵を与える人物として一番自然です。
ただ花押とか確認できないんで、自分のレベルでは推測どまりです( ̄ω ̄A;アセアセ