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Channel: 九州戦国ブログ~室町末期から江戸初期まで~
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相良義陽_57【島津咆哮1_菱刈氏討伐】

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今回の出典~近代デジタルライブラリからコピー「菱刈史:有川国千賀編、大正13」です^^/
出版年度は古いんですが、編者は地元の郷土史家で違う著作「北伊佐史」の方では家臣子孫にインタヴューもしてます。
昔のせいか近年の郷土史と違い出典元記載がないのが惜しい^^;
ザッと読んだ限りでは、菱刈文書や系図を参照してる感じを受けます。

実はコピーは去年に入手済だったんですが、出版年度が古いんで元出典に使ってOKか裏付けとってた(*´pq`)ウフフ
てことで、各種サイトとも見比べてみたんですが、どうやら菱刈氏に関しては新たに発見された史料等はないみたいです。
大口市史がWEB非公開のため差異は未確認ですが「菱刈史」と大きな差はなさそう。
(いまは大口市も伊佐市に合併されちゃったから、旧市史がどうなっているのやら^^;)

ということで、行きます~~~~ゎーィ♪ヽ(*´∀`)ノ
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ちょっと違和感なのは「菱刈史(と北伊佐史)」では、相良氏を「獅子身中の虫」と非難してることです。
ただ、室町中期まで遡れば、相良氏と島津氏は縁戚関係なので、まぁ丸っきり間違いでもない^^
なんだか源平藤橘氏姓まで遡ったら、日本国中の武家が縁戚関係になる気がしてきた,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!

「菱刈史」では「伊東 相良 菱刈が連合して島津に対抗するので・・・(要約)」とあるが、実は更に薩摩国の渋谷一族も加わってます。
で、伊東が連携してるのは、相良のみです。
こんがらがった毛玉のような状態を崩すため、島津は菱刈をターゲットに選んだ。

いっぺんにアチコチ相手をするのは島津でもハードワークすぎるが、ターゲットを一つにすれば兵力は上回ります。
菱刈に攻撃を集中するのに、やりくりしたと思うんですが、具体的に何をしたかまでは菱刈史では触れてません。
思うに、永禄9年(1566)10月26日の小林城攻めで、重傷を負った島津義弘の回復待ちはしてたんじゃないでしょうか^^;

家紋・島津 ロン様作成、島津家紋ロゴ

永禄10(1567)年11月23日、島津貴久・義久両公は栗野に到り湯之尾を越えて馬越(まごし)城を攻めた。
栗野・・・・・姶良郡湧水町
湯之尾・・・伊佐市菱刈川北
馬越城・・・伊佐市菱刈前目(伊佐市役所菱刈庁舎の北側)

栗野から湯之尾は北西へ約4km
湯之尾から馬越城は、やっぱ北西で1~2km弱
6km近く移動して、更に城攻めか~~まったくもって戦国時代の人はタフですな ( ゚Д゚)y─┛~~

馬越城の城主は、菱刈隆秋家臣で井手籠駿河守。
井手籠は長男・兵部少輔と次男・弥四郎と共に城を守っていたそうです。

以下原文(旧漢字、旧仮名は直してます)
貴久公は清水曽於郡宮内田布施の衆七千余人を率いて陣之尾に義久公は鹿児島谷山加世田阿多山田吉田帖佐の衆八千余人を率いて前目諏訪山に陣し

・・・・・???
句読点がない・・・Σ(´Д`;) はぅ!
明治39年(1906年)に文部省が「句読法案(句読点法案)」出してるのに~~(_´Д`)アイーン 

これぞ、まさしく南斗苦闘点・・・(._+ )☆\(-.-メ)ヤメンカ!

ちとグーグルマップ様とウィキペディア様に、お尋ねしてくるので暫し猶予を!
句読点のない人名&地名の漢字列挙は、この後も続くのだが・・・それは・またの話 by^-^;sio

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