Quantcast
Channel: 九州戦国ブログ~室町末期から江戸初期まで~
Viewing all articles
Browse latest Browse all 910

黒田家~関ヶ原後の筑前チョイス

$
0
0
の訳。

あくまで推測(;・∀・)

自分は、如水は天下を狙っていない説派なので、筑前チョイスの推測も、その流れに絡みます。

まず、欲しいところを、と聞かれ、
大坂に近い近畿エリアを上げたら、家康は喜ばない。

家康が喜び、かつ黒田家にとっても得になる土地、、、それが筑前チョイスの一番の理由だと推測してます。

中津18万石から、いきなり天下を狙うには、偶発、偶然に頼り過ぎる。
ギリギリ、、、関ヶ原が1日でケリがついた時点でスッパリ切り替えです。

が西軍残党狩があるから、上手く立ち回り百万石を狙いたい( ̄ー ̄)

百万、、意図としては、沢山たくさん。
関ヶ原前まで毛利も上杉も百万石大名。
将来、天下に働きかける自己資本金としては、百万石か相当の財力基盤が欲しいところ。
筑前50万石は、その可能性がある土地です。

筑前における政庁、大宰府と
国際貿易商都、博多は、
九州という土地にとり、それほど大きな影響を持つ土地でした。

大宰府は菅原道真には不満でも、
九州における政所で数百年の老舗です。
西国のドン大内も、キング九州な大友も
皆欲しがり、制覇して大宰府から号令をかける。

そして国際貿易商都、博多。
ここをゲットする事で得る利益は計り知れない。
交易ルートにノウハウを居抜きで、そっくり拝領とは、さすがクロカン。(;・∀・)

では、逆に何故に家康が筑前を黒田に与えたか、、、です。

一番の理由は、当時の家康が豊臣政権の五大老だったからと思う。
博多も大宰府の価値も家康は知ってたはずです。
貿易立国として秀吉が財を為すのをオンタイムで見ているんですから。

そもそも国際貿易商都の博多は、本来なら時の権力者が直轄地とすべき類いの土地なんです。
だからこそ、このままでは豊臣家が潤うだけ。

黒田家が拝領する事により、商都博多の利益が豊臣家の蔵へ入るのが止まる。
そして、一大名の支配下にする事で大宰府が九州の政所だった歴史的役割を終わらせられる。

完全な中央政権を作るには、九州に鎌倉や室町のように中央政権とは別に公儀権を持つ組織を与えては駄目なんです。

貿易商都としては、家康には既に博多ではなく長崎を中心にする構想があったんじゃないでしょうか。
南蛮貿易のネックは、キリシタン布教とセットなのと、キリシタン大名と宣教師が個々に繋がりあること。
こっちを先に何とかする方が急ぐ。

あと、中国は明が末期で政情不安定で、先の予測が難しい。
下手すると博多は明交易ルート全滅で、商都としての価値が下落するかもしれない。

家康自身の政権構想。
豊臣家の九州における財源を断ち、ひいては豊臣の影響力を削ぐ。

筑前、、、いえ、博多と大宰府を黒田家に与えるプラマイを頭を廻らせ、
結果、筑前を与えた家康。

おそらく彼には、自分の作りたい政権と、作りたい日本の原形が出来ていたんだろう。
とにかく政治家としてのスケールが、今の政治家とは比較にならない(;・∀・)

とまぁ、黒田家が筑前に収まった理由として、今の自分が考えられるのは、これくらい(〃⌒ー⌒〃)ゞ

また勉強して推考が深まれば、こんな感じで呟きます。
長文にお付き合い有り難うございます

Viewing all articles
Browse latest Browse all 910

Trending Articles