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日向が活躍した代表的な島津氏分家・・・主に四氏で新納、樺山、北郷、豊州家
北郷(ほんごう)氏・・・後の都城島津氏。
エリア~現在の宮崎県都城市
ここ説明すると一話で終わらなくなるから詳細パス,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
樺山(かばやま)氏
日向国三股院は庄内の樺山(現・宮崎県北諸県郡三股町)がスタート
8代目は伊作の島津忠良次女と縁組し、貴久、義久の治世に貢献しています。
大永年間に日向から大隅へ国替えしてますが、戦国初期の段階では同じ都城にある野々美谷城。
ちなみに8代目の娘(=家久から見て従妹)が四兄弟末弟・島津家久の正室です 川* ̄д ̄*川ポッ
新納(にいろ)氏
新納院⇒志布志⇒串間
でもって、更に伊東対策として飫肥に入る
豊州家
新納氏の後に飫肥に入るんだが、ここも長くなるから詳細パス(爆
・・・地図なかったっけ・・・米良筑後守の時のを使いまわすか(←おぃ)
目安として茶色でグリグリーーって印してるのが霧島山^^/
宮崎市ってあるのが、伊東氏の本拠地・佐土原のあったとこ
飫肥(日南市)が、島津立久の要請で新納氏が入ったとこ
小林市で真幸院の中で頑張ってるのが島津義弘公(いまの説明段階では未だだけどね)
北郷さんの都城市は小林市より南に位置した大隅国寄りです。
串間市は都城市の更に南なんで、この地図に入りきれてない・・・( ̄ω ̄A;アセアセ
志布志湾に面してる海沿いの市です。
てことで串間の西側にある志布志も地図に入りきれてない件・・・( ̄ω ̄A;アセアセ
で、伊東対策の更なる布石で串間の方に入ったのが、伊作島津氏で当主は島津久逸。
さて、大雑把な位置関係がボヤんと説明できたかな~
これ以上は地理音痴のシオには無理なんで御勘弁を^^;
島津が薩摩国衆の謀反や内訌で弱体化したのを良い事に、勢力拡大を始めた伊東氏。
上昇志向・あくなき野心・・・まさに戦国武家な伊東氏には日向国守護職が島津氏だという大義は通用しないらしい。
日向史の戦国は伊東家の台頭によって始まったのではないかと思うのだが、それは・またの話 by^-^sio
やっぱ前後編じゃ無理だったか・・il||li _| ̄|○ il||l