で、年表は編年体(`・ω・´)キリッ
自分は地理の変遷を調べるのが嫌いだけど好きです(←?)
というのも学生時代は地理が大嫌いだったから^^;
街道の発達とか宿場町とか湊の発達とか、元が苦手な地理なので調べるのはシンドイけど、
地理史を歴史の動きと連動して推考するのが好き・・・
を超えて'`ァ'`ァ'`ァ(;´Д`)'`ァ'`ァ'`萌えるマニア
過日、ブログ友さまと遣り取りしてる中で、
こうした自分の歴史考察の指向性はジャンルとしては「地政学」
というカテゴリーになるらしい事が判った( ゚д゚)シランカッタ
何と言うか肥前中世史を調べる上で地理史が必須だと思い、苦手ながらも必要に迫られて頑張っただけなので、学術的な指向性についてまで考えてる余裕なかったんです^^;
ただ長年感じてたのは、自分の記事は小説にはならないです,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
架空の人物を想像したりするのが出来ない・・浮かばないっす(-ω-;)ウーン
自分の歴史記事で顕著な特性をあげると
・とにかく手に入る史料は可能な限り全て調べる←凝り性www
・調べた事は全て記事にして取捨選択はしない←記事が長文or記事数が膨大になる
・推考の際も複数ある通説を上げた上で、どの説を典拠にしたか明示する
・新たに資料が増えると補足⇒補訂⇒とグレードアップし、おさまらなくなって再編纂記事をやりだすwww
てことで現在連載途中の相良史は再編纂版ですぅ~♪ヽ(*´∀`)ノ←おぃ
べ・・べつに「ガラスの仮面」みたいに本誌と単行本の内容が違うわけじゃないし。
・・・でもないか・・・il||li _| ̄|○ il||l
日々史料の波に呑まれて楽しく溺れてたけど・・・ふっと気づいた。
つまり自分がブログでやってるのって通史の編纂作業と(ほぼ)同じ?!(@@)
好きな事をやってるだけだから考えたことなかったけど、そういうことだよね?( ̄ω ̄A;アセアセ
道理で何年たっても終わらないはずだ,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
現地取材してないからアレですが、地理史とからめて推考するから昔で言う所の『風土記』っぽい部分もある^^;
年表だって参照史料を元に作るから、だんだん編年体クラスの量になってきてブログ記事にするのが追い付かない^^;
そんな御大層なことをしてるつもりはないんだけど、【ブログご案内】にある参照史料は研究者レベルなんで作る記事も、知らず知らずにレベル上げになるのかなぁ・・・(-ω-;)ウーン
独学なので、自分のレベルがサッパリ判りません,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
えっとですね・・・何が言いたいかって・・・赤文字下線部分ですよ( ̄ko ̄)
先日、念願の歴代鎮西要略が入手したんで【再編纂したい通史病】が発症中!!!
我儘自儘なのだけは自覚あります。
でも、どうしてもどうしても『肥前中世史_通史』としてシオバージョンで再編纂・・・やり直したいんですぅ~~~・゜・(PД`q。)・゜・
でも相良氏の再編纂版は、ちゃんと完走したいので、無理ないペース(不定期)でチラチラと・・・
それに肥前関連の史料で未だ読んでないのは、多数あるのでペースを早くすると色んな意味で危険デス(´・д・`)
てことで色々言い訳してますが、結論を言うと肥前史はじめ・・・やりなおしますの御案内でした^^;
自己満足の垂れ流しですが、もし御付き合い頂ければ嬉しいです 川* ̄д ̄*川ポッ