新章に入る前に、ちょっとボンヤリと考えてました。
記事の文章を推敲してるうちに、別に分けた方がいいかな~って(自分の脳内整理)
思いつくまま書いてるので、予め前篇にしときます,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
記事の文章を推敲してるうちに、別に分けた方がいいかな~って(自分の脳内整理)
思いつくまま書いてるので、予め前篇にしときます,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
★諱(いみな)とは(ウィキペディアより) 諱という漢字は、日本語では「いむ」と訓ぜられるように【本来は口に出すことがはばかられることを意味する】動詞である。 この漢字は、古代に貴人や死者を本名で呼ぶことを避ける習慣があったことから、転じて人の本名(名)のことを指すようになった。(中略) 諱に対して普段人を呼ぶときに使う名称のことを、字(あざな←通称・名乗りです)といい、 時代が下ると多くの人々が諱と字を持つようになった。
諱で呼びかけることは親や主君などのみに許され、それ以外の人間が諱で呼びかけることは極めて無礼であると考えられた
諱は普通は公開しません。その人の本当の名前(隠し名)だからです。
だから本人が死んで墓石や戒名に諱が書かれて「初めて知った」なんて事もあります。
我々が隠してたはずの諱を、どうやって知るか?というと文書です。
だから本人が死んで墓石や戒名に諱が書かれて「初めて知った」なんて事もあります。
我々が隠してたはずの諱を、どうやって知るか?というと文書です。
朝廷に伺候する時は普段の名乗りではなく、本姓(源平藤橘諸氏)と本名(諱)で呼ばれます。
神社に寄進したりするときの願主・施主の名前も普段の(以下同文)
和睦・和議で起請文や各種誓紙を交わす時も普段の(以下同文)
主君は家臣を諱で呼びかける事が許されてる(非礼とはされない)ので、
そういった時の情景が___φ(.. ) メモメモっと残されてる場合もあります。
神社に寄進したりするときの願主・施主の名前も普段の(以下同文)
和睦・和議で起請文や各種誓紙を交わす時も普段の(以下同文)
主君は家臣を諱で呼びかける事が許されてる(非礼とはされない)ので、
そういった時の情景が___φ(.. ) メモメモっと残されてる場合もあります。
だから後世の我々が、武将たちの普段の名乗り以外で諱や本姓を知るのは、文書や史跡の銘・碑文、墓石の脇書等として残ってる人物に限定されるわけです^-^
余談ですが、伊達政宗だけは現代の大河ドラマの如く、ガンガン諱呼びされてました,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
さすがに本人に面と向かっては、呼び捨てはしてないとは思うんですけどね・・・( ̄ω ̄A;アセアセ
でも関係者全員が目にする布陣図に「政宗(の陣)」と書かれてても、伊達家からはノンクレームなところを見ると、本人が禁忌であるはずの諱呼びを面白がってたとしか思えない^^;
自分の諱をキャラ化してた唯一の戦国武将かもです。
さすがに本人に面と向かっては、呼び捨てはしてないとは思うんですけどね・・・( ̄ω ̄A;アセアセ
でも関係者全員が目にする布陣図に「政宗(の陣)」と書かれてても、伊達家からはノンクレームなところを見ると、本人が禁忌であるはずの諱呼びを面白がってたとしか思えない^^;
自分の諱をキャラ化してた唯一の戦国武将かもです。
余談から戻って諱とくれば偏諱です
★偏諱(へんき=諱の一字拝領)の風習(ウィキペディアより一部抜粋) 貴人から臣下への恩恵の付与として偏諱を与える例が、鎌倉時代から江戸時代にかけて非常に多く見られる。 室町時代に入ると重臣の嫡子などの元服に際して烏帽子親となった主君が、特別な恩恵として自身の偏諱を与えることが広く見られるようになった。
武家において偏諱を授けるということは直接的な主従関係の証となるものであり、
主君が自分の家臣に仕えている陪臣に偏諱を授けることが出来なかった。(中略) 【戦国期に入ると偏諱は外交手段】として用いられた。
九州で最も偏諱に熱心だったのはキング大友。
お蔭でデジャヴュな諱が量産され、フルネームでないと誰が誰だか区別つきません(爆
名乗り・通称の習慣が薄れた現代人泣かせですが、利点もあります。
お蔭でデジャヴュな諱が量産され、フルネームでないと誰が誰だか区別つきません(爆
名乗り・通称の習慣が薄れた現代人泣かせですが、利点もあります。
例えば生没年不詳の武将がいたとします。
彼の諱に「鑑」の文字が入っていれば、大友義鑑からの偏諱で、拝領したのは1530年以前に限定出来ます。
または諱に「鎮」の文字が入っていれば、大友義鎮(宗麟)からの偏諱で、拝領したのは家督相続以降で隠居前に限定されます。
彼の諱に「鑑」の文字が入っていれば、大友義鑑からの偏諱で、拝領したのは1530年以前に限定出来ます。
または諱に「鎮」の文字が入っていれば、大友義鎮(宗麟)からの偏諱で、拝領したのは家督相続以降で隠居前に限定されます。
そうなると前後の史料・諸情勢から、生没年不詳武将の活動時期・年齢などが大雑把に推測できる・・・と言う訳です^-^(本音:面倒くせぇえええ~)
で、長々説明した後に(やっと)龍造寺です,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
龍造寺隆信は、初めは西千葉氏から、次は亡き大内義隆から偏諱を受けて「隆」の文字を拝領してます。
緑枠&太文字で説明した偏諱の風習に従うと、龍造寺隆信は大内義隆の被官(ひかん・緩やかな主従関係)になった事になる・・・はずです。
緑枠&太文字で説明した偏諱の風習に従うと、龍造寺隆信は大内義隆の被官(ひかん・緩やかな主従関係)になった事になる・・・はずです。
が、実際の隆信は大内被官としての行動を何一つしてません。(゚ロ゚屮)屮 じぇじぇじぇ!
龍造寺隆信の辞書に「誰かの家臣になる」は無い(`・ω・´)キリッ
てことで断言しちゃおうと考えているのだが、それは・またの話 by^-^sio
龍造寺隆信の辞書に「誰かの家臣になる」は無い(`・ω・´)キリッ
てことで断言しちゃおうと考えているのだが、それは・またの話 by^-^sio
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最近のお気に入り画像、兎のオチリ(*´pq`)クスッ
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