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Channel: 九州戦国ブログ~室町末期から江戸初期まで~
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相良家文書534_吉弘宗鳳(鎮信)書状

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※吉弘鎮信~高橋紹雲の兄、つまり立花宗茂の伯父にあたります。

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緑文字---原文(翻刻版)ママ
青文字---読み下し
赤文字---意訳
漢字だらけ~~゜ ゜( ∀ )ぅ!?って方は意訳の赤文字部分のみ読んでくださいませ~

(折封ウハ(上)書)(封部分省略)
追而、嶋織物一端、茶箱百袋、被懸御意候、御懇情恐悦至極候、
御礼之趣、具令披閲、本望之至候、然者、今度御人数被差立候、御馳走之次第、尤珍重候、爰元相応之儀、何様不可存疎意候、此表之事、時々刻々御勝利之条、可御心安候、自今者節々可有御到来之条、毎事期来喜、令省略候、恐々謹言、
   (永禄十二年カ)六月十九日       宗鳳(花押)
       相良殿参御報

宛名の相良が日付より上の位置だ!
相良が大友に援軍を出したって~~~( ゚д゚)ンマッ!!
 

追而(ついじ)、嶋織物一端(反)、茶箱百袋、御意懸かさらせ候、御懇情恐悦至極候、
追伸;嶋織物一反、茶箱100袋、御丁寧なお気持ちありがとうございます。とっても嬉しいです^-^

御礼の趣、披閲(ひえつ)具し令(せ)しむ、本望の至り候、
御礼の書状、じっくり読ませて頂きました。本望なことです。(=人=)

然者(しかれば)、今度(こたび)御人数差立(さしたて)らせ候、御馳走の次第、尤も珍重候、
さて このたびの兵を差し向けて頂いたこと、尤も大事な事です^^b

爰元(ここもと)相応之儀、何様(いかさま)疎意(そい)存じ可(べ)から不(ず)候、
こちらからも、それに相応して(相良を)粗略にすることはありません(`・ω・´)キリッ

此の表の事、時々刻々御勝利の条、御心安可(べ)く候、
毛利との戦ですが、日々こちらの勝利に向かっておりますので御安心下さい^-^

自今(じこん)者(は)節々御到来有る可(べ)くの条、毎事期来喜、省略令(せ)しむ候、恐々謹言、
今後は、たびたびいらして下さるとのことですが、都度の御礼や挨拶などは省略させて下さい。恐々謹言なぅ


兵数や細かい時期など不明ですが、大友へ相良が援軍を出していたようで、その御礼書状です。
そのため書状では、相良の宛名を日付の上に書くという、最上に近い礼を用いています。

相良にしてみれば、毛利(超上から目線)と大友(名門らしい丁寧さ)双方から「うちが勝ってるから(`・ω・´)キリッ」と言われ、今後どういいうスタンスにしたら良いのか判断がつきかねたのでしょう。
大きな戦は数度、そのまま数ヶ月対峙のロングラン長丁場でしたからネー(*´・д・)(・д・`*)ネー
援軍することで、情勢の偵察したんじゃないかな~というのが自分の推測^^

大友の方に援軍した理由は、自分の想像だけど、長年の交際&大友が九州探題だからでしょう。
何より、毛利からの書状が無礼すぎて(上位者のような振る舞い)ハッキリとした決着もついてないのに、相良を毛利の被官同然のような態度だったので、まともに相手する気がなくなったのかと・・・( ̄ω ̄A;アセアセ
相良が どう判断したかまでは不明ですが、吉弘へ今後も行くと言ってたようなので、最終的には大友が勝利すると分析したのかもしれません。

それにしても北九州の戦に、肥後は人吉から援軍を送っていたとは意外でした。
だって相良は菱刈VS島津の戦にも援軍してましたから。
相良にとって永禄12年は、北も南も修羅場だったようです。

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