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Channel: 九州戦国ブログ~室町末期から江戸初期まで~
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相良家文書541_木上宗心書状

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緑文字---原文(翻刻版)ママ
青文字---読み下し
赤文字---意訳
漢字だらけ~~゜ ゜( ∀ )ぅ!?って方は意訳の赤文字部分のみ読んでくださいませ~
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(折封ウハ(上)書)(封部分省略)
追而、御茶箱百袋拝領、忝畏入候、毎篇御芳情、難盡愚翰候、殊此表御弓箭之様躰、彼方可被申宣候、替儀候者、可申入候、
爲此表御加勢之儀、植田下野守方被差立候、遠路之儀候處、被顯御心底候段、公私御祝着之由、直  被仰出之条、不及口能候、如貴礼、帰国之刻、於人吉、以御面談細碎承候続、至老中度々申述候、其首尾弥顯然仕候間、至拙者満足仕候、爰許相応不存緩之趣、淵底植田下野守方可被申達之条、閣細筆候、恐惶謹言、
(永禄十二年カ)月十六日           宗心(花押)
      相良殿  参 貴報
※ちょっと調べるのが大変な人からの書状と、年度推定が難しい(=無理)書状はパスしたので間が空いてます^^;
毛利VS大友で相良が大友に援軍を出してた事は、前回の吉弘鎮信の書状にありました。
今回は具体的に「誰が」派遣されたのか名前が記載されています。
う・・・読み下し・・・が・・・頑張る(´;ω;`)ウッ

追而(ついじ)、御茶箱百袋拝領、忝く畏れ入り候、毎篇(まいへん)御芳情、愚翰(ぐかん)盡(つく)す難し候、殊此表御弓箭の様躰(ようてい)、彼方申し宣へらせべく候、替り儀候者(は)、申し入れべく候、
※愚翰(ぐかん)=自分の手紙を相手に対して謙遜して使う言葉
追伸、茶箱100袋頂きました。忝く畏れ入ります。常々のご芳情は書状だけでは尽くし難いです。
特に此の表(筑前・豊前)における戦いの様子は、彼方へ申し述べ替わって申し入れします。

此の表御加勢の儀為し、植田下野守方差し立てらせ候、遠路の儀候ところ、ご心底顕(あきら)からせ候段、公私御祝着の由(よし)、
今回の加勢に植田下野守を派遣し遠路のところ来て頂き、ご心底が判りました事、祝着なことです^-^

(宗麟が)直(じか)に仰せ出らせ之条、
我が主が直に言われた事ですが

口能(こうのう=斡旋)に及ばず候、貴礼如く、帰国の刻(とき)、人吉に於いて、御面談以て細碎承り候 続けて、老中に至り度々申し述べ候
まず毛利への斡旋には及びません。帰国の時、人吉で面談し詳しくお聞きします。それは何度も老中へ申しております。

其の首尾は弥(いよいよ)顯然(けんぜん)仕り候間、拙者満足の至り仕り候、爰許(ここもと)相応緩やかな趣存ぜず、淵底(えんてい)植田下野守方 申し達しべらせ之条、閣細筆候、恐惶謹言、
其の首尾は増々明らかになっていくでしょう。自分も満足です。この辺りも緩やかな状況(戦況?)です。
淵底(えんてい)・・・深い話は植田下野守へ伝えます。(宗麟の言葉はここまで)閣細筆候、恐惶謹言(書止めの定型文)

ぜーはーぜーはー・・・・よ・・読み下し怪しいけど、意訳としては大体あってると思ふぅ~~( ̄ω ̄A;アセアセ

まず相良が大友へ援軍として派遣した将は植田下野守という人物です。(監修様分かりますか?^^;)
それに関し丁重な礼を述べており、それやこれやで相良の宛名が日付より上という礼をとってます。

で、どうも相良は毛利との仲介を大友へ申し出てたみたい。
相良には毛利からも(上から目線の)手紙が来てたので、仲介できなくはないですから。
ただ、大友宗麟が「それには及ばない」と拒絶してて、あくまでも毛利とは弓矢で決着つけるつもりだったようです。

大友が若林水軍を使って関門海峡を突破し、大内輝弘や尼子への支援を送ったのは同年10月。
おそらく宗麟には、その構想が既にありウィキペディアによると事前偵察は6月から始まってたそうです。
宗麟が植木に伝えた淵底(えんてい)・・・深ぁ~い話っていうのが、その秘密作戦のことだったかも~~~ウキウキ(0 ̄*O)(O* ̄▽)Oワクワク
相良は宗麟の壮大な作戦を知っていたか、中身は知らなくても大友が毛利へ何か大きな反撃をするのを知っていた可能性がある・・・その傍証となる文書でした'`ァ'`ァ'`ァ(;´Д`)'`ァ'`ァ'`

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