はじめに【滅びの序章】だから、少弐は滅びず「滅びかける」んですよ^^
ロン様作成:大内家紋ロゴ
ロン様作成:少弐家紋ロゴ
![地図・晴気と牛頭]()
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明応6(1497)1月、吉見正頼・熊谷膳直・小早川詮平・陶一族ら計2万余騎を、義興自ら率いての筑前入り。

少弐高経(政資嫡男)、大内先陣・杉興正の布陣前の隙を突いて、これを討ち取る(=^・ω・^=)v ブイ
大内第二陣・陶興房&熊谷膳直が少弐に反撃 バキッ!!( -_-)=○()゚O゚)アウッ!
少弐高経は敗れて大宰府へ退く((((((((((っ´0`)っキャイ~ン
大内勢は勝ちに乗じ、兵5万騎(人?)に膨れ上がり箱崎(筥崎?)へ攻め入る
北肥戦誌には詳細はないが、おそらく筑前・豊前の国人らが大内軍に靡いたんだと思う^^;
「ヤバい」と感じた少弐は親子で相談し、二手に別れて逃げることにした。
少弐さんってば、何回も御家存亡⇒御家再興を繰り返してるんで、
落ち延びる手際が慣れてる,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
当主・少弐政資⇒⇒岩門城に籠る
嫡男・少弐高経⇒⇒勝野尾城へ入る
大内勢は大宰府を制圧し、これを本陣とする(`・ω・´)キリッ
高経の勝野尾城へ、陶興房&陶安房守の2万が攻撃
政資の岩門城へ、陶弾正忠が同じく2万で攻撃
岩門城、落城!!!! ガ━━━(゚ロ゚;)━━ン!!
少弐一族10余人討死!岩門城の雑兵たちも殆どが討たれる
大内義興は、ガチで、完全に、少弐を滅ぼすつもりだったようだ。
通常の城攻めでは、わざと攻撃の一角を開けて、敵城兵の脱出ルートを作る。
そうすれば敵側は、抵抗するよりは逃げる方を選ぶ(特に城兵として徴募された雑兵たちが脱出)
そうなったら籠城を維持できなくなるので、敵も諦め降伏する。
結果として、攻撃側も損耗を抑えつつ早期に城を落とせるからです。
城の雑兵たちが殆ど討たれる・・・
って事は、大内は少弐の降伏助命を視野に入れない殲滅作戦をとったって事です。
しぶとい少弐が、今度こそ二度とリベンジ出来ないように、徹底的に潰すであります!o( ̄Д ̄θ★ケリッ!
少弐政資は岩門城を脱出し、実弟・千葉胤資の晴気城へと逃げた。

陶興房と陶安房守が勝野尾城を攻撃~バキッ!!( -_-)=○()゚O゚)アウッ!
少弐一門の筑紫満門、東尚頼が大内に降伏。
嫡男の少弐高経は肥前・神埼郡は勢福寺城へ逃げる。
つまり少弐は本貫地である筑前を追われ、(また)肥前へと逃げたんです。
3月下旬、大内勢が肥前へ侵攻開始。少弐高経のいる勢福寺城を攻撃。
3月28日、少弐政資は河上社へ「武運長久」「帰国安堵」の願文を出した(河上神社文書173)
大内の勢福寺城を攻撃は、歴代鎮西志では4月3日とあるので、少弐政資の(-人-)☆彡神様オネガイが攻撃の前か後かはイマイチ不明。
少弐が肥前に逃げるときは、基本、崖っぷち。
大内の肥前侵攻と、その攻撃目標に気づき「嫡男の無事の願いを込めた」のではないでしょうか (゜-Å) ホロリ
川上社の加護でしょうか。
4月8日、少弐高経は勢福寺城から父のいる晴気城へ逃げる(ギリギリセーフ)
4月13日、大内勢が晴気城(西千葉居城)を攻撃(大内の高笑いが聞こえてきそうだ^^;)
この攻撃には東千葉の千葉興常も参加してます。

だって、こーんな目と鼻の先にあるんですもん^^;
千葉胤資「兄上(少弐政資のこと)これ以上は無理~~支えきれない~~」
晴気城も危険でつ~兄上の側室の父・多久宗時殿を頼って下さい~・゜・(PД`q。)・゜・スマヌ
ちょっと秀吉の弟を思い出した・・・己は出しゃばらず、兄を補佐し続ける忠良な実弟。
少弐が肥前全体へ勢力を伸ばしたのは、この実弟が・尼日光(肥前千葉11代目娘)を妻としたのが大きい。
尼日光は肥前国人たちに対し、衰退する少弐への助力を依頼している。
(実質的には東千葉との戦い)
話戻って4月18日夜半・・・千葉胤資は、実兄・少弐政資を城から逃がした。
さらに時間帯をズラして別ルートで少弐の息子・高経、頼高を逃がす。
やっぱ落ち延びる手際が慣れ・・・(._+ )☆\(-.-メ)オイオイ
ここまでコテンパンにやられても、未だ滅びない少弐の家運が凄すぎるんだが、それは・またの話 by^-^sio