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そもそも大友氏は文亀2(1502)から、筑後にチョッカイ出してたらしい。
どうも同年の暮れあたりに兵をいれたらしく、12月11日、筑後の田尻治種が大友家から領地安堵を受けている「by田尻家文書14」
その筑後の国人に星野氏がいる。
1478年に肥後の菊池氏が筑後にチョッカイ出した事があるが、星野氏は大友配下として仕えた。
だが大友家という家は国人に対し冷たい家だった。
戦になると、大友は危険な最前線に国人たちを追い使い、自分の旗本を温存するという事を露骨にしたそうだ。
星野氏も大友の態度が腹に据えかね、ついに謀反を決意。
永正4(1507)年3月19日、大友義長は星野氏の妙見城を攻撃するため1万余騎で筑後入りする。
(歴代鎮西志では15000)
大友義長(宗麟の祖父)に反旗を翻したのは筑後国人・星野重泰。
星野氏本城:妙見城(現・福岡県うきは市)。
勢力範囲:筑後の生葉・竹野両郡を領し鷹取・妙見・白石・山中・福丸の城砦を持つ。
星野重泰は、大友と戦う前に自らの葬儀を七回執り行った。
それは、かつて星野氏が大友に対し「七代の間は謀反をしません」と誓詞を出していたからです。
星野「葬儀七回!これで誓詞にある七代クリアしたどぉ━━━ヽ(´ω` *)ノ━━━ッ★」
っと、厳かで派手?なパフォーマンスを行う事により、城内の士気と結束を固めた。(伯耆守の七葬式)
この星野征伐に少弐資元が加勢したので、必然的に肥前の諸将も加勢した。
肥前からの加勢は少弐一門の馬場、横岳、他諸将は宗、出雲、江上、姉川。
大軍に囲まれた星野氏・・・風前の灯と思いきや、天下の大友軍が落とせない?!( ゚д゚)ンマッ!!
前線指揮官としての星野は非常に優秀で、かつ妙見城も天嶮の要害だった。
星野は地の利を上手く使い巧みに大友軍を翻弄し、とてもではないが容易に落とせそうにない。
大友義長は焦った・・・!
たかが国人の謀反に時間を労するようでは。大友家の威信にかかわる。
それに豊前が大内の支配下の現在、筑後の星野に通せんぼされたのでは、少弐と連携した軍事行動に齟齬が生じる。
力攻めがダメならと、大友は謀略(正確に言うと臼杵のアイデア)を用いたのだが、それは・またの話 by^-^sio
ここまでを三行まとめ(`・ω・´)キリッ
・筑後で大友に対し星野重泰が謀反を起こした。
・少弐が大友に加勢したので、肥前の諸将も少弐に従軍し大友に加勢。
・要害の星野本城を落とせず、焦った大友は謀略を用いる事にする。