***間が空いたから今更だがザッとおさらい***
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【相良頼房・さがらよりふさ】・・・18代義陽の次男・相良家20代目当主にして人吉藩初代藩主。
本来なら家督に縁のない、ピンチヒッタースペア次男坊。
予期せぬ兄の病死により万が一の順番が来て当主となったが、島津配下となった相良家では喜ぶユトリ無し。
頼房は短い期間ながらも島津家の人質となって、大人社会の洗礼を受ける。
さらに島津の豊後侵攻にからんで日向入り~おそらく初陣はこの時だろう。
大名の子弟の戦場デヴューともなれば、重臣たちに全て御膳立てされ恙なく終えるものなのだが、
秀吉軍と秀長軍の九州入りで、急遽撤退することに アタヘ( ̄△ ̄:)ノミヽ(: ̄▽ ̄)ノフタ
同じ島津配下の国人や道案内を務めた地元民が、瞬く間に敵に転じて牙を向く。
重臣・深水宗芳の起死回生の交渉術により、相良家は豊臣秀吉に御家存続を認められる。
だが生き残るには島津を裏切る不義をしなければならず、
さらに秀吉によって、父祖の代からの領地である葦北郡を失い、相良家は僅か2万石の小大名となってしまう。
頼房少年は学んだだろう・・・
深水を見て、家名を残すためには、あらゆる手を尽くすことを。
犬童頼安、岡本ら相良家臣を見て、誰がどのような働きをしているかを。
島津への信義のために一人、人吉に戻らず薩摩へ行った菱刈を見て、どのような人物が信じるに値するかを。
それらの貴重な経験は、激動の時代を生きるための智慧となって、少年を大人にした。
【九州の役】【肥後&天草の国人一揆】は終わり、頼房の当主としての座は一応の落ち着きを見せる。
天正18(1590)年~北条征伐&奥州仕置発令・秀吉の天下統一がなされた年の8月21日。
相良家最大の功労者・深水宗芳が死去(享年59歳)
深水宗芳の死後、【朝鮮の役】【関ヶ原】・・歴史の奔流・波濤の中、相良家の舵取りをしたのが、犬童頼安の嫡男・頼兄(よりえ)だ
主要・出典元【南藤曼綿録】他からの引用は都度明記
関ヶ原まで残すところ10年!熱く激しくマニアック!生き残れ相良!ってネタバレしてる^^;
***丸椅子かソファーか、座り心地なんて想像もつかないが「権力の椅子」は一つだけだ***
***そして一つしか無いがゆえの【孤独】を、後に頼兄も知ることになる・・・・・・・***
秀吉に気に入られた深水は、主君の旧領・芦北郡の代官となった。
主君も相良家臣の顔ぶれも変わらないのに、己の立ち位置だけが変化するというのは、居心地の良いものではない。
だが家臣の中に「豊臣政権の代官がいる」というのは、一つのステータス・相良家の名誉でもある。
豊臣政権との外交パイプがあるのは心強いが、関ヶ原以降だと、それが逆に邪魔になる。
だから個人として深水宗芳は、いいタイミングで死んだと思う。
豊臣政権との外交パイプがあるのは心強いが、関ヶ原以降だと、それが逆に邪魔になる。
だから個人として深水宗芳は、いいタイミングで死んだと思う。
長命していれば間違いなく失脚し、深水一族もそれに巻き込まれたに違いない。
その深水が死の直前まで心配だったのが「自分の後継者」だ(深水の嫡男は父に先立ち戦死した)
深水は初め、犬童頼兄を養子にして後継者にしようとした。
犬童頼兄は重臣・犬童頼安のたった一人しかいない男子で、それを所望しようとしたのだから余程思いつめていたのだろう。
wikiによると「(養子の件を)一族の竹下監物に反対される。
宗芳はやむなく頼蔵(よりくら)を自らの後継としたが、心許なく思い、主君・相良頼房の許しを得て、頼蔵、頼兄の両人を自らの後継の奉行とした」とある。
人様の嫡男を養子~他に兄弟がいないのに~雷神様(立花道雪)より酷い,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
だからつい犬童家と深水家の関係をアレコレ深読みし、深水頼蔵の評価もアレコレ深読みしてたのだが、
亡き深水が思いつめるぐらい「パっとしない男」だったらしい_| ̄|○ il||li がくぅ~
(幸麿さん作画~相良頼房^^)
深水頼蔵は生年が不明なので年齢が解らない、頼兄より3つ年上説と7つ年上説あり。
頼蔵評は『左馬助(頼蔵)は性質魯鈍、軍七(頼兄)は天性鋭気叡智にして左馬助に頭を出させず(嗣誠独集覧)』とある。
※嗣誠独集覧~南藤曼綿録と同じ梅山無一軒が書いたものです。
ろどん・・・(* ̄* ̄*)ムゥ・・・ほら、一口に魯鈍って言っても色々あるじゃん!
例えば「黒田如水と長政が並んでいれば、長政がドンくさく見える的」な感じかもよ!
と、好意的に解釈(深読み)してみたが、実は上記の緑文字部分は南藤曼綿録だと経緯が違う。
宗芳が頼蔵を推したが、当主・頼房が「左馬助(頼蔵)一人ではとても勤まるまい」として頼兄も同役に任じ(以下略
主君も「心許なく」思ってたようです_| ̄|○ il||li がくぅ
はぁ・・・深水は死んでも死にきれなかっただろうなぁ・・|草場 |・T)じぃ。。。
犬童頼兄(通称が軍七^^)は、年少の頃は稚児として寺に入っていた。
稚児になるだけあって、容姿端麗(イケメン)だったらしい。
元々秀逸な性質なとこにもってきて、寺で成長したから受け答え明朗明解、所作もバッチリ物腰涼やか~~。
深水頼蔵・・・たださえ魯鈍なのに、頼兄と同役では余計に見劣りし、ぶっちゃっけ引き立て役。
魯鈍といっても、知能がアレなわけではない。
自分が他人から「どう見られているか」は怪しいが、少なくとも「頼兄と比べられている」のは自覚している。
かたや明敏な頼兄から見れば反応の鈍い頼蔵にイライラする。
頼蔵に理解させるために費やす時間が勿体ない。
当然のごとく二人は非常に不仲で、主君・相良頼安を悩ませるのだが それは・またの話 by^-^sio