元亀元年(1570年)今山合戦で何とかピンチを脱した龍造寺のターゲット。
それは大友に与した波多・草野・鶴田ら「三氏への報復」という大義をかざした西肥前侵攻でした。
それは大友に与した波多・草野・鶴田ら「三氏への報復」という大義をかざした西肥前侵攻でした。
鶴田氏は上松浦一族の盟主である波多氏と対立。
かつて龍造寺勢を撃退した時のような、連携した軍事行動は望めない。
かつて龍造寺勢を撃退した時のような、連携した軍事行動は望めない。
てか「鶴田宗家当主である兄を謀殺した波多とは【絶対に】与しない!(`・ω・´)キリッby鶴田越前守前&鶴田一族」
というほど関係が拗れてました( ̄ω ̄A;アセアセ
そこで鶴田氏は、反波多の旗頭であり松浦一族実力のドン・松浦道可(平戸松浦の方)と同盟する。
というほど関係が拗れてました( ̄ω ̄A;アセアセ
そこで鶴田氏は、反波多の旗頭であり松浦一族実力のドン・松浦道可(平戸松浦の方)と同盟する。
平戸松浦氏との同盟が永禄13年(1570年)3月24日。
大友が6万の大軍で龍造寺討伐のために肥前へ侵攻した頃です。
ちなみに大友では必勝を期して、筑後側から有明海の海上封鎖もしてました。
大友が6万の大軍で龍造寺討伐のために肥前へ侵攻した頃です。
ちなみに大友では必勝を期して、筑後側から有明海の海上封鎖もしてました。
少弐による一族抹殺の時もですが、「龍造寺が、このピンチを生き残るのは無理だろう」と周辺国衆の誰もが思ってた筈です。
ところが意外にも戦線が膠着し長期化、局地戦では夜襲で龍造寺が勝利してしまい、大友と龍造寺は9月末に和睦し10月には陣を引き払っちゃう。ヽ(。_゜)ノ へっ?
ところが意外にも戦線が膠着し長期化、局地戦では夜襲で龍造寺が勝利してしまい、大友と龍造寺は9月末に和睦し10月には陣を引き払っちゃう。ヽ(。_゜)ノ へっ?
もちろん和睦と言っても内実は龍造寺の敗北でして、龍造寺側から人質が出されてます。
ところがです。
龍造寺から大友に出された人質は、すぐ返されてるみたいなんですよ~~~^^;
大友にすれば「大友が勝ったど~」という形式が調ってれば良かったみたいで、そこが大物の大物たるユトリ?
龍造寺から大友に出された人質は、すぐ返されてるみたいなんですよ~~~^^;
大友にすれば「大友が勝ったど~」という形式が調ってれば良かったみたいで、そこが大物の大物たるユトリ?
「ゴルァ!!!(# ゚Д゚)・;'.人質は府内(大友氏・豊後国首都)へ差し出せ~常識ダァロ!」
ってキッツーーイ要求された筑前・秋月種実とは、対応がえらく違う^^;
ってキッツーーイ要求された筑前・秋月種実とは、対応がえらく違う^^;
これは、やっぱ大友にとっての優先順位として、肥前という国の価値を重要視してなかったからだと思います^^;
大友にとって本貫地である豊後を別格として、優先順位第一位は博多のある筑前なんです^^;;
大友にとって本貫地である豊後を別格として、優先順位第一位は博多のある筑前なんです^^;;
誤解があると困るんですが「肥前国は大友が支配してます。」
これは絶対の大前提でして、耳川の合戦で島津に敗れて衰退するまで、きっちり機能してました。
これは絶対の大前提でして、耳川の合戦で島津に敗れて衰退するまで、きっちり機能してました。
が、その統治方法というのが曲者でして、あくまでも「室町体制の延長における守護職としての調停機関」ってスタンスなんです。
だから、方分(守護代みたいなもん)や、城督(方面軍司令官みたいなもん)が在任地、
または直参衆が配置してたなどの筑前・豊前・筑後より、肥前への支配が緩く感じます。
(肥後は完全フリーダム~肥後守護職の大友は直接統治を諦めて、各国衆による自治になってます)
だから、方分(守護代みたいなもん)や、城督(方面軍司令官みたいなもん)が在任地、
または直参衆が配置してたなどの筑前・豊前・筑後より、肥前への支配が緩く感じます。
(肥後は完全フリーダム~肥後守護職の大友は直接統治を諦めて、各国衆による自治になってます)
実際に、守護職と被官は緩やかな支配関係ですから、戦国期カオスになると拘束力は一層弱くなります。
という状況の中で、大友軍が撤収し人質も形だけで龍造寺に返還されたんです。
という状況の中で、大友軍が撤収し人質も形だけで龍造寺に返還されたんです。
「大友へ与した裏切り者」への龍造寺の報復は速攻で始まった( ̄ω ̄A;アセアセ
手始めに東肥前の者たち(詳細は本編にて)が・・・・゜・(つД`q。)・゜・御贔屓のアソコやアレがカナスイ・・・
手始めに東肥前の者たち(詳細は本編にて)が・・・・゜・(つД`q。)・゜・御贔屓のアソコやアレがカナスイ・・・
この間、波多氏はフラフラしてまして、北肥戦誌だと1573年の段階で、龍造寺の求めに応じて援軍を出してる事になってます。
草野・鶴田・・・来る~来る~貞○じゃなくてR氏が・・・(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル
草野・鶴田・・・来る~来る~貞○じゃなくてR氏が・・・(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル
で、1573年3月吉日に、元々同盟関係だった日高一族と鶴田氏が再度起請文を交わし関係強化を図ってます。
前回チラ出ししたように、この時も「波多氏に与しない」と念押ししてます。
元々両家ともに波多氏に身内を謀殺されてますが、この頃になると波多氏の帰趨が龍造寺サイドになってるっぽいのも「与しない」に含まれてると思われます。
前回チラ出ししたように、この時も「波多氏に与しない」と念押ししてます。
元々両家ともに波多氏に身内を謀殺されてますが、この頃になると波多氏の帰趨が龍造寺サイドになってるっぽいのも「与しない」に含まれてると思われます。
1573年12月、ついに龍造寺軍が東松浦地方に侵攻!
「岩屋家譜(獅子ヶ城鶴田氏の方)」曰く 「波多氏敢テ敵セズ、其臣八並武蔵守・福井山城守ヲ出シテ、龍家ノ先駆タリ、 龍家既ニ前(すすむ=鶴田越前守前の事)公ノ大友氏ニ属セラルルヲ憤リ、仍兵ヲ遣テ獅子城ヲ攻ム」
波多氏の援軍が龍造寺軍の先陣&「道案内」な件~ ガビ━━━(゚ロ゚;)━━ン!!
おにょれ波多氏~~獅子ヶ城の攻めに有利な間道をバラしたな~~~(▼A▼怒)
勇将・鶴田前も圧倒的な龍造寺の大軍に抗しきれず和議を結んで城を出た!・゜・(PД`q。)・゜・
おにょれ波多氏~~獅子ヶ城の攻めに有利な間道をバラしたな~~~(▼A▼怒)
勇将・鶴田前も圧倒的な龍造寺の大軍に抗しきれず和議を結んで城を出た!・゜・(PД`q。)・゜・
ちなみに北肥戦誌では、鶴田前が鶴山前と思いっ切り間違っているのだが、それは・またの話 by^-^sio