1288 正応元年
祁答院氏:渋谷重松(行蓮:祁答院3代)が弟・斑目泰基(聖蓮)に柏原河口野を譲る。
(渋谷重松は祁答院3代で、2代・重尚の次男。但し、一説に養子で、実父は重尚の次兄・惟重(後述)とも)
1297 永仁五年
祁答院氏:渋谷行重(祁答院4代)松尾寺(後に興全寺)創建。
1300 西安二年
祁答院氏:渋谷惟重、一野・河床・中木庭・黒木・中津川を領有し中津川氏を称する。
(惟重は祁答院初代・重保の次男で、2代・重尚の次兄(重尚は三男)。但し、系図上での中津川の祖は重尚の長兄・朝重の子・経重)
1317 文保元年
祁答院氏:沙弥円仏(祁答院4代・行重)が、中津河村を子の道海(祁答院5代・重実ではない模様)に譲る。
1333 正慶二年/元弘三年
祁答院氏:渋谷重利(5代・重実?)祖父・惟重重代相伝の一野・河床・中木庭・黒木・中津川を入来院重勝(入来院5代)に引き渡す。
1336 建武三年/延元元年
祁答院氏:大村太郎、祁答院氏族・吉岡将重に攻められ大村城落城。滝聞城へ退く。
(吉岡将重は、2代・重尚の嫡男。大村氏は、大前氏支族と祁答院氏支族の二系統あり、太郎は大前支族)
1357 延文二年/正平十二年
祁答院氏:島津氏久、吉岡将重を大村城に討ち落城。平田親宗(一説に本田氏)が城主となる。
1380 康暦二年/天授六年
祁答院氏:この頃、重茂(7代)の次男・重義(8代・久重の次兄)が大村城に在城、大村氏を称する。
1395 応永二年
祁答院氏:大村義重、鶴田合戦で戦死。
1400 応永七年
祁答院氏:祁答院延重(7代・重茂の三男で8代・久重の兄)の次男・重基が藺牟田(いむた)を領し、藺牟田氏を称する。