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Channel: 九州戦国ブログ~室町末期から江戸初期まで~
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【讒言の報酬・中篇】龍造寺隆信「覇」の巻25

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>じゅうぶん援軍が間に合う位置にいながら、隆信は動きませんでした。

この行動について、後世では「残虐な龍造寺隆信が報復の為に小田を見殺しにした」と言われて来ました。
報復というのは、かつて小田氏が少弐冬尚に対して剛忠(家兼)を讒言してたからです。
それは熱血暴走家臣・馬場頼周が龍造寺潰しを画策するより前の事です。

少弐氏はピンチになると親子別々に逃げるという、滅亡回避スペックが高い家でした。
で、家督を継ぐ前の少弐冬尚の逃亡先が小田氏の蓮池城。
武力では龍造寺の力が必要だった少弐冬尚ですが、個人的に親しみを感じてたのは心細い時に支えてくれた小田氏だったでしょう。

土着ではなく、室町期に肥前に来て在地領主となった肥前小田氏にとっても、少弐のブッチギリ名門オーラが必要だったんです。
その小田氏にとって、次第に龍造寺が目障りになって来ました。
というのも龍造寺が川副や与賀といった河川流域に勢力を広げはじめたからです。

http://blog-imgs-47.fc2.com/s/i/o/siori20120901/2013020919445960e.jpg
あ!よく見たら小田の蓮池が蒲池になってる ガ━━━(゚ロ゚;)━━ン!!

ゲホゴホ・・特に小田が困ったのは佐賀江川の起点、河口港だった今宿が龍造寺勢力エリアになった事だと思います。
物資流通のライフラインが他人に握られるのは、戦国時代なら死活問題になりかねません。
それで小田氏は「少弐資元が自害に追い詰められたのは、龍造寺が大内に寝返ったからだ~」と少弐冬尚に吹き込んだんです。

龍造寺が大内に寝返った・・・という話の出所は、小田の讒言じゃないでしょうか。
で、ホントに寝返ってたか?となると、自分はNOです。少なくとも具体的な裏切り行動はしてなかったと思います。
ただ、、、ちょっと、、、主君(少弐)が衰退したのを良い事に、主君の領地(与賀と川副)の豪族・領民を、ちゃっかり手なずけちゃっただけ(?)です~(*´pq`)

こういった経緯から小田との和睦(実質は降伏)に対しても、龍造寺隆信は本心からなのかと、懐疑的だったのは容易に推測出来ます。
小田の方でも、龍造寺との関係強化には積極的ではなかったようで、特にコレといった記述は残ってません。

龍造寺隆信は、1558年正月の八戸宗暘攻撃にも、同年10月の神代との決戦にも小田勢は動員してないようです。
少なくとも北肥戦誌・三瀬村史・富士町史には、小田姓の者は登場してないです。
八戸城が神代との内通を疑われ(真相不明)攻撃したというのに、小田の方では従軍を願い出るでもなく龍造寺へ人質を出すような素振りはなく、何だか超然としてる印象を受けます。

隆信が小田の本心に懐疑的だったように、小田は小田で龍造寺が東肥前の覇者となるか否かと、まだ懐疑的だったんじゃないでしょうか?

それで少弐ゾンビ復活と神代巻き返しに備えて、龍造寺とはフェイドアウト気味に距離とってたのかな~と思ったんです。
小田政光の父・資光に関しては、単純に龍造寺に頭を下げるのが嫌だったイメージですけど(爆

http://blog-imgs-49.fc2.com/s/i/o/siori20120901/blog_import_5042c7a4b747b.jpeg

神代勝利に大敗した名尾峠での決戦。

龍造寺隆信が、その翌月の勢福寺城攻めの先陣に小田政光を起用したのは、小田家の本心を確かめるつもりだったと思います


自分は神代勝利単独の動員能力は、龍造寺の半分くらいと考察してました。
だって同程度の軍事力で龍造寺が大敗したなら、その時点で龍造寺サイドから少弐・神代サイドへ国人・豪族の寝返りがあるはずでしょう?
特に小田さんがフラフラします。元カレにしようか今カレにしようか~ってね(^ -)---☆Wink

その動きがなかったってことは、神代は単独で龍造寺と事を構えるだけの力はないって事の証左。
神代勝利が龍造寺に勝つには、名尾峠の時のように「龍造寺隆信を山内に誘き出す」か、「周囲の同盟者と組む」の二択しかないんです。

小田でも判ってるから、先陣として出陣したはずです。
でも上記の経緯から、純前たる龍造寺配下に気持ちがなりきれなかったんでしょう。

出陣したのは現役当主である小田政光。それは(・∀・)イイ!
でも過去に龍造寺を散々に讒言したパパ資光は出て来ない。モヤモヤしません?
政光の息子たちも従軍してない。本城である蓮池城でお留守番。嫡男は従軍して隆信に挨拶すべきじゃないこと?
他の国人配下が同じ事をしても気にならないかもだけど、小田がすると「龍造寺に未だ含むところが・・」て気分になる。

そこへ持ってきて小田からの援軍要請です。
隆信は自分の胃液を飲み込むような不快さを感じた事でしょう。
本来ならば新参の配下である小田は、今後を龍造寺配下として生きるための覚悟の出陣でなければならないんです。
であれば、どんなにキツイ戦場でも援軍要請なんて出せないはずです。
裏切りでなくとも、援軍要請は小田が龍造寺配下に成りきる腹が据わってない事の証です。

小田政光は隆信が己の援軍要請を無視してる事に気づくと同時に

龍造寺配下として生きるための覚悟を「衆目の中」で促された事に、いまさらながら気づいた・・・


武将として「戦場における覚悟」を「人から促される」って、とんでもなく恥ずかしい事です。
ここで負けて生きて帰ろうものなら、他の龍造寺勢たちから「嗤」「哂」の漢字を使われる嘲笑を生涯受ける事、間違いなし。
「ここで討死する!!・゜・(PД`q。)・゜・」って小田の決意は、むしろ当然の事です。

ここから先、小田が生き残るか討死するかは、小田本人の武運次第で、龍造寺隆信の関知するところではありません。
肥前小田氏の家運は、この先も紆余曲折するのだが、それは・またの話 by^-^sio

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